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よみたい!ネット
エッセイ

 

わたしを切り戻す


中島順子  
 

 

 ハサミを手に、私はいつも一瞬ためらう。いや、一瞬ではなく10秒、20秒…ともう少し。確かに、伸び過ぎた枝は好き勝手な方向を向いてるけれど。でも、まだ十分きれいに咲いている。あと少しこのままにしておこうか─。
 初夏に植えたチェリーピンクのペチュニア。途切れることなく咲きつづけた花枝は、盛夏を過ぎて花数がぐんと減った。思いきって切り戻さないと、秋に再び花を付けることはないだろう。 わかっているのに躊躇する。もったいない、そんな気持ちが先立つから。
 育ちすぎた株を長持ちさせるため、日当たりと風通しをよくするための「切り戻し」。どの本にも書いてあるガーデニングの基本だ。コツはあくまでも大胆にばっさりやること、とも。

 

 35歳、秋。ちょうど夏の花たちの切り戻し作業をする頃、それは突然訪れた。本当になんの前ぶれもなく。
  動悸、のぼせ、不安感、倦怠感、無気力…。これといった理由もなく、しかし日々確実に心身のバランスを崩していく私。いくら何でも、更年期症状には早すぎる。体調の変化ではなく軽い心身症だと自覚するまでに、それほど時間はかからなかった。
  思考回路はどんよりと鈍く、朝起きても何もする気が起こらない。気持ちの深いところが妙に熱をおびたかと思えば、不透明な水の中をどこまでも落ちていくように気分が滅入る。そして、堰をきったように湧き上がってくる疑問と自分自身への問いかけの数々。
 わたしは今のままでいいのだろうか? 
 この暮らし方は間違っていないか?
 5年後、10年後も今と同じペースで仕事を続けるつもり?
 そして、そんなわたしを好きになれる?誇れる?
まさに、クエスチョンマークのオンパレードである。

 

 8年前、長女の出産を機にフリーで仕事を始めた。少しづつ軌道にのってくる仕事は面白い。母親とか主婦とか、そういう枠を越えて自分の手で自分の人生を拓いているという確かな手応え。
  幾度となく妊娠・出産を繰り返しても仕事を辞めようとか、辞めたいと思ったことはなかった。むしろ、子どもがいるという一種のハンディが逆に私を奮い立たせていた、ともいえる。
  妊娠する、仕事を辞めない。産前ギリギリまで働く、仕事を休まない。産後すぐに仕事が入る、仕事を休めない、休むわけにはいかない。SOHOというと聞こえはいいが、フリーという立場にはいつもあやふやな脆さが付きまとう。気を抜けば仕事は減るし、休めばその先の保証はない。
  降りたくても降りれないレースをひた走る競走馬のように、気がつけは私は4人の子どもを産み、なおかつ過密なスケジュールをこなしていた。平然を装いながら。これが私なの、大したことないの。これぐらい全然大丈夫、と。
 それでも、暮らしていく上でのささいな、決して見ないふりのできないあれこれは確実に心の底に澱のように溜まっていく。母親、主婦、仕事人、すべての役割にOKを出せない苛立ちやあきらめの感情を交えながら。
  家族、仕事、私、バランス感覚なんて口で言うほどたやすくはない。子どもを産む、子どもを育てる、家族のために暮らしをととのえる。主婦であり、母でありながら働き続けることは、いつの時代もどんなワークスタイルであっても決してラクじゃない。周りに負けないように、自分に負けないように何故か肩に力が入ってしまう。
  いつもほんの少し背伸びして、自分で自分を励ましたりもする。それはフルタイムマザーだけでなくSOHOや在宅ワーカーもしかり、だと思う。

 

 11月初旬、専属で仕事を請けている広告代理店に束の間の休業宣言と今後の仕事の在り方についての要望を伝えた。広告の仕事を半分に減らしたいこと、家族のために余力が欲しいこと。そして、自分のライフワークとしてゆっくりと時間をかけて書きたいものがあること。
  この数年、フリーとは名ばかりで、ほとんどサテライト社員のような立場で仕事をしてきた。広告の仕事を一から教えてもらい、ずっと一緒に仕事をしてきた上司とも呼べるその人は私の言葉に何度か頷き、「あなたの決めた通りにしたらいい」と言ってくれた。
 こうして仕事を減らすという行為に変えて、私はわたし自身を切り戻した。
  もちろんそれがたとえ半分であっても、何かを捨てる、あきらめることは寂しさや痛みを伴う作業である。これまで築いてきた信用、実績、それに伴う報酬。どれをとっても、失うのはもったいない。たやすく手に入れたものではないから、なおのこと惜しいと思う。
  けれど、仕事に対する責任感も、家族と向き合う心の余裕も、自分らしさを貫くためのある意味でのわがままさも、私の掌の上では等しく同じ重みで存在している。
 ひとは人生の中で転機と呼べるものに何度巡り会うのだろう。そもそも、これが転機だとはっきりと自覚できるような出来事など、そう多くはないのかもしれない。むしろ人生の方向を変えようと意識したとき、その瞬間が転機になるのではないだろうか。
  だとしたら、きっと転機は自分の手で何度でも生み出すことができる。人生のシナリオは何度でも書きなおせるし、いつだってなりたい自分になれる。

 

 いつになく暖かな12月。花の終わった鉢から順に冬越しの準備を終え、小さな庭は1年で一番静かな季節を迎えた。
  休業期間に入った私はあっけなくというか、拍子抜けするほど簡単に心身のバランスを取り戻した。
  時間と仕事に追われ、日々の暮らしの中に埋もれていた夢の実現に向けてささやかな準備を始めた。自分のために書きたいものを書くという新たな展開。ゆっくりと、進みたい方向を90度だけ変えてみよう。
 春はまだ少し遠い。そして時間はたっぷりあるのだから。

 

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