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ふと、明治生まれのおじいちゃんの姿が浮かんだ。
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関内を歩くときはいつも、桜木町から汽車道経由で行くことにしている。
文明開化の発祥地を歩くのだから、入り口はやっぱり汽車の道でなくちゃ。 変なところで律儀なのがお散歩マニアなのだ。
その昔、絹やお茶を積んで汽車が行き交った線路の跡を辿り、いったん赤レンガ倉庫のある新港地区に入る。そこから万国橋を渡れば、もう関内地区だ。
・・・変化と保存の最前線で・・・
万国橋通りは、本町通りにぶつかった所で馬車道と名を変える。
新港地区と関内の境界に接するこの界隈は、まるで歴史と最先端がせめぎあう戦場のように、いたるところで工事をしている。
歴史的な建物は多く残っているが、町並み自体は瀕死の状態だ。役目を終え、静かに街から消えていく貴重な建築物もある。
端正な意匠を凝らした横浜銀行本店跡が、正面玄関を残して取り壊されている。おそらくこの部分だけ、どこかに移築・復元されるのだろう。その前の道は拡張工事中なのだろうか、作業車両がひっきりなしに行き交っている。
昭和初期に建てられた富士銀行のクラシカルな建物は今も現役だが、隣の東京三菱銀行は閉鎖され、建物存続が危ぶまれている。交差点の真下には、再来年開通予定の地下鉄みなとみらい21線の北仲駅が現在建設中だ。
歴史を保存するための工事。新しい街造りのための工事。この風景にぶつかるたび、思わず立ち止まって考えてしまう。「過去」と「みらい」のはざまにある、多分これが「今」ということなのだろう。
いつ終わるともしれない工事現場に、いつだって私たちは置かれている。
本町通の交差点から1ブロック南に、神奈川県立歴史博物館がある。明治37年に竣工された、横浜に残る数少ない明治の建築物で、かつ唯一の石造建築だ。
威風堂々。彫りが深く細部まで端正。
しかし建物に近づいて見ると、歴史の風雪にさらされた傷跡がいくつものこってるのがわかる。関東大震災でドームを消失した後、戦火をくぐり抜け、老朽化に耐えながら、部分的に復元され改装され、なんとか今日まで立ち続けている。威厳ある外観も、実は満身創痍なのだ。
ふと、明治生まれのおじいちゃんの姿が浮かんだ。
への字に結んだ口に鋭い目。厳めしい外見に似合わず、根は繊細な人だったという。独善的でわがままで、おばあちゃんはずいぶん泣かされたとも聞いている。でも小さな孫娘には優しかった。もう30年も前に直腸ガンで亡くなった。最期まで痛いとも苦しいとも言わなかったそうだ。
そうか。
そんなおじいちゃんと同世代なんだ。年季の入った建物の、花崗岩の外壁を見て、ちょっとだけしんみりした。
あらためて思い起こせばこの30年の間、おじいちゃんのことを思いだしたことなど、数えるほどしかなかった。それが、まるで縁もゆかりもない横浜で、全然関わりもない建物を見たときに、突然思い出してしまうというのも不思議な話だ。
お散歩しているとよく、こんなふうに心のずっと深いところに眠っている記憶がよびさまされる。それらの多くは意識の表面に浮かび上がる直前に、あぶくのように消えてしまい、その記憶がまとっている残り香や後味だけが、一瞬ふわっと心に漂ってくるだけだ。でもたまに、今日みたいなこともある。
これから先、ここを通るたびに、私はおじいちゃんを思うだろう。
・・・建物たちの、さまざまな「老後」・・・
博物館が面した南仲通りを県庁方面にぶらぶらと歩く。
「ジャックの塔」の名で知られる横浜市開港記念館の裏手を通り、地裁の敷地にぶつかったところで左に折れる。「キングの塔」をいただく神奈川県庁を横目にしばらく行くと、今度は横浜税関の「クイーンの塔」が見えてくる。
「キング」「クイーン」「ジャック」。
どんなガイドブックにも必ず載っている横浜のシンボルだ。
3塔それぞれが違った建築様式を採用して、個性を主張しあっている。
デザイン的に優れているのは、なんといっても「ジャックの塔」だろう。
竣工は大正六年で、3つのうちでもっとも古い。時代の雰囲気を反映してか、古典様式の中にモダン建築を取り入れた、自由様式というスタイルを採っている。赤煉瓦に、花崗岩が白いストライプのようにあしらわれた、華やかで軽やかな姿。それがいかにも「ハマのモボ」といった風貌で、陽気に年を重ねてきた粋なおじいちゃんを思わせる。3つの塔でもっとも市民に愛されているのもうなずける。
エキゾチックな「女王様」も捨てがたい。イスラム風のドームと、西洋ロマネスク調のアーチを持ち、その国籍混在のあいまいさが、逆に異国情緒を醸し出している。すらりとした優雅な尖塔は、長い航海を終えて入港した外国人船乗りたちの目に、とりわけ魅力的に映ったことだろう。この建物の正面は海側を向いている。
そうなると分が悪いのは「王様」だ。重たげな屋根つきの塔は見るからに威圧的で堅苦しいし、全体としてちぐはぐな感じがする。最初に見たときには単純に「なんだか、嫌」という印象だった。
それがさほど的はずれな感想でなかったことを後で知った。「キングの塔」は、竣工の昭和3年当時、建築界の一部で提唱されていた「帝冠様式」を最初に取り入れた建物だという。この頃台頭してきたナショナリズムを建築物に反映させた様式で、西洋建築の土台に、日本をはじめアジア各国の意匠が切り張りしたように用いられている。建築史的にはあまり評価されていないようだ。
よく調べてみるとこの帝冠様式、時代の空気に迎合した建築家の中から自発的に出てきたもので、特に軍や国家が強力に押し進めた建築様式ではないという。まっしぐらに戦争へと向かっていたこの時代には、直接国家が指示しない分野でも先走りが起こり、自ら軍国主義に拍車をかけていたのかと思う。
結果的にこの様式はさほど日の目を見ることなく、時局におもねってこれを生んだ建築界は、キングを時代の鬼っ子と位置づける。
でもそんな歴史を知った後で、あらためてこの建物を見ると、ちょっと違った感慨を持つようになった。
それはたまたま悪い時に生まれあわせ、時代遅れの教育を受けて育ってしまったがために、今さら基礎を変えようもない、昭和一ケタ生まれのお父さんたちの姿。価値観の変化に翻弄された挙げ句、結局自分にはこの生き方しかないと確信したきまじめな一徹さ、みたいなものだろうか。
デザイン的には多少いびつで、古めかしい思想を吹き込まれてはいるけれど、戦災に立ちのこり、老朽化にも耐えてきた「キングの塔」。堂々と立ち続けてきた鬼っ子は、おじいちゃんになった今も、元気に自分の務めを果たしている。
不格好だけど、カッコイイじゃないか。
県庁の前を通って、大桟橋方面に足を向ける。
ぽつんぽつんと点在している舶来雑貨や古着店、船員向け生協などを、冷やかしながら歩く。西海岸をそのまま輸入したような明るいベイハウス。港倉庫を改造した店舗。ここに並ぶのは、これまで見てきた建物と違い、多分20年後には消えていて誰も思い出さないような、小さな名もない建物ばかりだ。
いや、でももしかしたらこの中の何軒かは残っているかもしれない。持ち主と扱う商品が替わり、改装補修され、そして少しずつ古びを身にまといながら。歴史的建造物のようには保存されないけど、その代わり、愛着を持った人に何度も手を加えられながら、寿命を全うする。
人間の社会がそうであるように、どの町並みも大部分は名もない建物で構成されている。その建物たちが、一緒に「いい古び」を身につけながら年を経ていけば、「いいおじいちゃん建物」の並ぶ、いい街がたくさん現れるような気がする。そうすればそこを歩くお散歩マニアはもっと幸せだ。
建物の話だけど、人間の話でもあると思う。
大桟橋の中程にある、ターミナルビルの展望台に上った。
平日にここへ来ると、少し不思議な気分になる。たくさんの年輩の男性が、1人で海を見ている光景に出くわすのだ。彼らはお互いに言葉を交わすでもなく、港を往来する船を眺め、たばこを吸ったり缶コーヒーを飲んだりして、そして帰っていく。引退した船員か、港湾作業員か、それともただの旅行者か。
一人一人がどんな人生を背負い、なぜここで海を見ているのか、ことさらドラマチックな深読みをする必要もない。建物にいろんな年のとり方があったように、人にもその人だけの時間が流れているのだ。
(VOL.2へつづく)
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