HOME | BACKNUMBER | WRITERS' PROFILE | FAQ | CONTACT FORM | From READERS
A

よみたい!ネット
エッセイ

 


第4回 横浜駅東口 三ヶ月遅れの追悼文<後編>


中北久美子  
 

 

 ・・・藍の薄闇と「月百姿」・・・

 

 美術館は、外で想像していたよりもはるかに深く静まりかえっていた。入り口で、穏やかにほほえむ受付の女性が、半券をもぎり、小さなチラシと一緒に返してくれた。
 館内に足を踏み入れると、なんだかストン、と頭が軽くなったような気がして、おやっと思った。それが照明のせいだとわかるまでに少し時間がかかった。
 人間の心にとってちょうどいい暗さ、というものがあるのなら、ここの照明はまさにそれだった。目の前に手をかざすと、薄い藍色のベールを一枚、ふんわりとまとったように見える。館内を見わたせば、奥へ行くに従って、ベールが幾重にも重なるように、藍の陰影が濃くなっていく。そのいちばん深いあたりに、二、三の来館者がたたずんでいるのが見える。
 目の奥の緊張が、じんわりと緩むのがわかった。そうなってみてはじめて、ああ、私の目にはこんなに圧力がかかっていたんだと気がついた。
 やわらかな光源は、日本画の繊細な色を損なうことなく、展示物を照らし出している。

 

 そこではじめて、企画展のテーマを思い出した。
「月百姿」。
 それまで、月岡芳年という絵師になんとなく抱いていた、ダイナミックで動的なイメージとはうって変わって、月に照らし出された幽玄で静的な世界が、一枚一枚の絵の中に閉じこめられている。
 今、その時に見た個々の作品を思い出すことはできない。ただひとつ、吸い込まれるように長い間その前に立っていた絵だけは覚えている。平安時代の管弦の名手、三位中将源博雅を描いたものだった。
 朱雀門の前で、無心に笛を奏でる博雅卿の後ろ姿を、冴え冴えとした月光が包み込む。昔、一度だけ本物の笛の演奏を、目の前で聴いたことがある。一般的なイメージにあるような、静かに流れる、という響き方ではなかった。たとえて言えば、一瞬の緊張の後、鋭利なナイフのような音がスッと切り込んできて、空気をふるわせながら波のように反響しあい、長い余韻がいつまでもあたりに漂う感じ。
 この絵の中には、かすかに残る余韻の尻尾と、次の音に移る一瞬前の静寂が描き込まれていた、と思う。管弦の神様とまで言われた三位中将が、その器官から吐き出す音は、どんなふうに響くのだろう。私は永遠に始まらない次の音を待って、しばらくそこにいた。

 

 月の光に照らし出された風景を、ひとわたり見終わって、真ん中のソファーに座った。
 この街に引っ越して来て以来、はじめて緊張がほどけたような気がした。ここから動きたくなかった。目線を動かすのさえ、おっくうだ。
 時折、「いらっしゃいませ」という低い声が聞こえて、来館者が訪れたことがわかる。たいてい一人客だ。一人でやってきて、しばらくここで絵と向き合って帰っていく。もしかしたら、この心地よい薄暗さに包まれるために来る人もいるのかもしれない。
 それから私は立ち上がって、外の世界に戻っていった。雑貨のフロアーで、友人たちの顔を思い浮かべながら、それぞれが好きそうな香りと色のアロマキャンドルを買った。最初からこうすればよかったのに、なんで「横浜のもの」にこだわっていたんだろう。
 私の横浜ライフは始まったばかりで、これからいろんなところで「自分の横浜」を見つけていくのだ。たとえばつい今しがた、このすぐ近くで見つけたように

 

 ・・・SO,GO! …To Where?・・・

 

 この時から一、二ヶ月に一度、この場所を訪れるようになった。一人になりたいとき、少し心が疲れたとき、藍の薄闇はいつでも迎え入れてくれた。
 そのうちに、私はこの土地に馴染んでいった。新しい友人ができ、仕事を再開した。横浜に心を開いたお散歩マニアの目に、街の風景はこの上なく魅力的に映り、「自分の横浜」リストに名を連ねる場所は少しずつ増えていった。次第に平木美術館は、たくさんある好きな場所のうちのひとつとして、埋もれていった。定期的に訪れはするものの、初めてここに来た時の感動に、再び出合うことはなかった。言葉は悪いが、いつの間にか私は、この場所の心地よさだけをむさぼっていたような気がする。
 それでも、ここへ通ううちに少しずつ、浮世絵のおもしろさもわかってきた。その造形的な美しさも、歴史の中での意味合いも、おぼろげながら理解できるようになった。それに合わせるように、これまでほとんど無関心だった「江戸的なもの」に心惹かれるようになってきた。その変化が自分でもおかしかった。

 

 だから、去年、そごうの破綻が伝えられたとき、当然真っ先に考えたのは、
「平木浮世絵美術館はどうなってしまうのだろう」
ということだった。でもその時は、横浜そごうが存続することになったので、とりあえずほっと胸をなで下ろしたのだった。そして、これまでどおり私の大好きな場所は、そこにあるのが当たり前だと思い込んだ。
 だけど少し考えればわかったはずだ。企業がリストラに取り組むとき、真っ先に手をつけるのは、本業と直接関係がなく、採算の取れない部門なのだ。
 結局、平木浮世絵美術館は、五月に閉館した。本当に突然のニュースだった。五月末まで展覧会の予定は入っていた。何らかの事情で、急に決定したこと だったのかもしれない。

 

 この場所を失うことに一言でも反対の声を上げていたら、ここまで後ろめたい気持ちにはならなかっただろう。
 そう、このニュースを聞いたとき、私はなんとも説明のつかない後ろめたさを感じたのだ。我ながら奇妙な話だが、展示されている作品一つひとつをもっと味わって、浮世絵をもっと愛してあげれば、こんなことにはならなかったんじゃないかとさえ、心のどこかで考えている。それは、大切なものをそれと気づかずに失った人が感じる喪失感、のようなものなのかもしれない。
 もう少し、愛してあげることができなかったのだろうか。失ってからする後悔がどれだけ不毛か、これまでの人生でいやというほど思い知らされてきたのに。ましてや失うことは十分予測できたのに。結局そうなるまで何もしなかった。
 その場所を頻繁に訪れて、もっとしっかりと記憶の中に刻み込むことさえも。

 

 閉館した平木浮世絵美術館は、都内に代替地を探して再開するのだそうだ。一日も早い開館を祈っている。だけど、本当は国内最大級の浮世絵専門美術館は、横浜の地にあってほしかった。来館者の少ない静かな雰囲気を喜んでいた私が、こんなことを言うこと自体身勝手だというのはわかっている。でも、古いものの価値を大切にしながら、最先端を愛する横浜の人たちに、江戸時代のポップアート、浮世絵のコレクションを守ってもらいたかった、という気持ちは今でもある。

 

 あれから三ヶ月、今ではそれがどこにあったのかもわからない。そごうの水島前会長は逮捕され、「新生そごう」がスタートした。一時期に比べて、人の流れがJR東口に戻ってきたようにも見える。そして店内には、「SO,GO!」と、いさましいキャッチコピーがそこここに張ってある。
 SO,GO! ……To Where?
と、少し感傷的な私は心の中で続ける。この街が、横浜そごうが、人々が、この先、どこへ行くのかなんて、誰にもわからないのだ。わからないけれど、さして気にする様子もなく、みんなそれぞれ、どこかへと向かっている。
 だけど、私が横浜で最初に好きになった場所は、今では跡形もない。

(←前編に戻る)

 

クリックしてね
ブラボークリックボタン
 ブラボークリックについて
     
A
HOME | BACKNUMBER | WRITERS' PROFILE | FAQ | CONTACT FORM | From READERS