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よみたい!ネット
エッセイ

 


第6回 伊勢佐木町 ハマのかっぱとエスカレーター
     <前編>


中北久美子  
 

 

 横浜に「浦島伝説」があるという話を、つい最近知った。
 港や山手の観光地からはずっと離れた、京浜急行「神奈川新町駅」から「仲木戸駅」にかけて。神奈川区の海の手に、浦島町、亀住町、浦島丘などという地名が続く。沿線の慶雲寺には、今も伝説にまつわる祠が残っているらしい。

 

 このあたりは京浜工業地帯のど真ん中だ。沿岸はすべて埋め立て地で、そこにびっしりと工場や倉庫や燃料タンクが並んでいる。ここに海亀がはい上がる砂浜があったなんて、どう想像してもうまく思い浮かべることができない。
 でもあったのだ。とにかく伝説はそう言っている。海亀はこの地に泳ぎ着いて、漁村の悪ガキ共につかまり、浦島太郎に助けられた。そして、竜宮城まで太郎を乗せて、沖へ沖へと泳ぎだしたのだ。
 とすると、たとえばベイブリッジの下あたりに、竜宮城は今でもひっそりと眠っているのかもしれない。五百年ばかり遊び暮らした浦島太郎が、今しも亀の背に乗り、この埋め立て地のどこかに向かっているのかもしれない。で、大黒町、宝町、恵比須町なんていう、名前ばかりはめでたい人工島のどれかに上陸して、呆然と工場群を見つめるのだ。

 

 そんなことを考えつつ、大黒インターから首都高に乗り、ベイブリッジ経由で関内方面に走る。右手には京浜工業地帯。このごちゃごちゃとした工場地帯は、表面を覆う薄皮のようなもので、その下にはものすごく分厚い地層が積み重なっているんだなと、あらためて思う。
 あるいは、このあたりの海にはその昔、もっといろんなものたちが流れ着いていたのかもしれない。

 

 たとえば……そう、かっぱとか。

 

◆◇◆◇◆

 

 ・・・ディープな町の入り口あたり・・・

 

 さて、今回のお散歩は、そんな工場地帯から場面一転、ベイブリッジを超えた先の伊勢佐木町・イセザキモール。その昔、歌にも歌われた一大歓楽街だ。
 私はお散歩マニアだけど、横浜マニアではない。だから、伊勢佐木町、黄金町、野毛町、日の出町などといったディープな中区のエリアについてはほとんど知らない。ところが、ある絵本をきっかけに、ふとこの町の入り口に足を向けることになった。そして、なぜだか不思議と心惹かれるこの界隈を、時々ふらふらと歩くようになったのだ。

 

 関内の駅を下り、北口から大通りをわたって桜木町方面に少し歩けば、すぐにモールの入り口が見えてくる。新名所・カレーミュージアムの前を、今日は素通りする。
 タイル敷きの通りに入れば、そこは一見ローカルな商店街だ。だけどよく見ると、横浜一の歓楽街として鳴らしたかつての名残か、独特の猥雑さも感じることができる。
 道のわき、得体の知れないオジサンが、酔いにまかせて看板を蹴飛ばしている。その横を、ギリギリまでスカート丈を切りつめた女子高生たちが、にぎやかに通り過ぎて行く。道ばたに座り込んだギターの二人組が、取り巻きの女の子と何やら話し込んでいる。
 エプロン姿のまま、買い物かごを下げて足早に行き過ぎるおばさん。特有のファッションに身を包み、携帯に耳をあてたままほとんど動かないその筋の若い衆。風俗店のチラシを配る女の子。みんなそれぞれ、「ザキ」をなわばりに生きている人たちなんだろう。
 ショボくて雑多で、どこかいかがわしい。そんな昔の繁華街の雰囲気を、肌で感じながらゆっくり歩く。奥へ行けば行くほど、ディープな物語を持っていそうなこの町の入り口あたりを、私は歩く。

 

 ほどなく横浜松坂屋本店が見えてくる。今日、目的地はこの小規模なデパートだ。
 この建物は、戦前のデパートによく見られた、アール・デコ建築の傑作として、横浜の近代建築群のひとつに挙げられる。三連のアーチ窓や、テラコッタの装飾が、今の時代から見ればとても上品でクラシカルに感じられる。しかし当時としては、大きな商業施設にふさわしく、華やかさとモダンさをあわせ持った、流行最先端のデザインだったのだろう。
 私は今日、ここへエスカレーターに乗りに来たのだ。

 

 ・・・25年前の港の夕暮れ・・・

 

 今から25年も前に、「キミちゃんとかっぱのはなし」という絵本が出た。作者は、「くまの子ウーフ」を書いた神沢利子。絵は「おしいれのぼうけん」はじめ、数々の名作を手がけた田畑精一。児童文学の第一人者が組んで、ヨコハマを舞台にした小さなストーリーを作り上げた。
 それは、こんな話だ。

 

 ヨコハマの港で、船の積み荷を上げ下ろしする「はしけ」で働きながら、船上で生活している家族がいる。そこの小さな一人娘、キミちゃんは、ある日停泊している運河で、一匹のかっぱと出会う。どこからか流れてきたこのかっぱは、海に落ちた積み荷をくすねながら、たった一人、運河の中で暮らしているのだ。
 その、水底に構えたかっぱの住居は、さすがにヨコハマらしく、舶来ものの家具や雑貨、それに保存食が小気味よく配置され、なかなか居心地良さそうだ。だけど、やっぱり一人で生きていくのは、いろいろしんどいことも多いのだろう。かっぱは、自分の姿をみとめた小さな女の子を、なんとかわが家に招待しようとする。

 

 その時の会話がふるってる。まるであの手この手で自分の家に誘う不良少年と、騙されまいといなす若い娘のようで笑ってしまう。一応、子ども向け絵本ではあるのだけど。
『いっぺんおいで。おらのうちにはコーヒーもある。ジュースもある。パイナップルも、それから、ダイズも、てつのスクラップもあるんだぞ』
 一生懸命誘うかっぱに、キミちゃんもちょっと心が動きかけるけど、昔話を思い出して警戒する。
『いやだ。かっぱは、キュウリと人のキモがすきなんだっていうもん』
『ばっか。ハマのかっぱは、キュウリだってピックルスにしてたべるんだぞ。アスパラガスってしってるか。かんづめだぞ。かん切って、そいつもぺろっとくうんだぞ』
『それ、みんなうちのはしけからこぼれたんでしょ。(……後略……)』
(『』内引用)
 これには、さすがのかっぱもぐうの音も出ない。

 

 運河の夕暮れを描いたページがいい。みなとみらいもベイブリッジもない、昭和の港ヨコハマでは、夕焼けの空もこんなふうにずっと広々と大きかったに違いない。遠くに描かれているのは、きっとまだ現役だった赤レンガ倉庫だ。ということは、キミちゃん一家の「はしけ」が停泊しているのは、大岡川の河口あたりだろうか。
 この絵本は、今の横浜市しか知らない私に、かつて街が普通に持っていた、宝物のような風景をページごとに見せてくれる。
 そして、挿し絵の中のキミちゃんは、いつも赤い靴を履いている。彼女もまた、「異人さん」と出会ったヨコハマの女の子なのだ。

 

 だけど、結局彼女は異人さんに連れられて行ったりはしなかった。

(→後編へ)

 

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