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エッセイ

 

シリーズ またたび・猫日記
第2回 蕎麦とパックと成人式

高橋真裕美  
 

 

 パックは、おとなの女性の密やかな楽しみである。成人の日の夜、珍しく、パックをしながら、私の脳裏をある想いがよぎった。
「蕎麦って、つくづく大人な食べ物だなあ・・・」
 第一、食べ方が「粋」である。
 さっとつゆにくぐらせて、ずずっと威勢良く「すする」スタイルなど、食べ物でありながら音楽さえ、感じさせる。店の中で、手打ちをしている音が響いているときなど、いわんや、である。
 さらに、庶民的な食べ物でありながら、一方で孤高の精神とこだわりを感じさせる。これがまた、素敵。だって、立ち食いの蕎麦から、わざわざ名人の打つ蕎麦を味わいに行く旅まで、どんなシチュエーションもそれなりに、味わい深くて、しっくりくる食べ物なんて、なかなかないと思うのだけれど如何だろう?
 香りも、味も、音も雰囲気も全てを楽しんでこその味わい。これが「う〜ん、いいねえ」と思えるようになるには、やっぱり、ある程度、いろんなものを食べて、見て、聴いて、知った、大人のゆとりと気構えが要るのじゃないのか、な〜んて偉そうに思うわけなんである。
 いきつけの蕎麦屋がある。
 思い立って、ふらりと蕎麦を食べる旅にでたりする。
 もう、この2点だけで、あたしゃあ、そんな男(ひと)、憧れちゃうねえ。(何故か江戸っ子風)粋じゃないか。え?

 

 「粋」というなら「寿司」だってそうじゃないの?という声が聞こえてきそうだ。確かにそういう部分もあるけれど、違うんだな、これが。なんたって、今や寿司は「子供が好きな食べ物ベスト3!」の常連である。最早これでは大人の楽しみ、大人の味わいとはいえまい。
 とある作家のエッセイで読んだことがある。すし屋のカウンターに並んだ家族連れの子供が、次々と高いものばかりを注文するのを聞き「寿司屋のカウンターに座るのは、自分で稼いでからにしろ!」と心の中で怒った、というのである。
「おなかを満たすだけでなく、食を楽しむことが分かるようになってから」という意味もあるだろうが、
「やっと、こういう寿司屋のカウンターで値段を気にせず食べられる身分になったというのに!」という悔しさも、とってもわかる。寿司という食べ物には、ごちそう感、ご褒美感がつきまとうから、なおさらだ。
 友人の家族などと家で寿司桶を囲むとき、
「あ、家の子達、ウニといくら、大好物なのよ。悪いけど、先にとらせてやってくれる?」
なんていわれ、
「そおお?××ちゃん達、さすが口がこえてるのねえ」と笑顔を作っているうちに全部とられ、おまけにどぼどぼ醤油つけて食べてるのを見た日にゃ、あまりのなさけなさに
「子供を甘やかしちゃいか〜ん!」
と、思わず叫びたくなるのは、私だけではないと思う。

 

 こだわりにこだわりを重ねた蕎麦といっても、蕎麦という食べ物はどこか、すきを見せてくれて、気取りがない感じがする。寿司のように、おやじのウンチクを聴きながら「食べさせていただく」といった、かしこまった気分にさせられない、その距離感も、大人を感じさせて非常にうれしい。これは、やっぱり、蕎麦という食べ物のもつ、懐の深さ、なのかもしれない。
 テレビでは、成人式の会場に集まった新成人のマナーがあまりにも悪く、怒った市長が祝辞を取りやめたというニュースが、流れている。
「蕎麦の大人ぶりを見習ってほしいなあ」
 パックを剥がしながら、そう、思った。

 

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