|
寒い朝が続いている。
コドモたちに親ひとり、まざっての登校というのにさほどの気苦労は感じないけれど、冬に入るとさすがに朝は気が重い。
ユーガも分団グループに所属しているので8時前に家を出る。私も完全防寒のための古い重いコートを今年はひっぱりだしてきて、いっしょに歩いている。
入学前に教頭先生から「ユーガくんは登校方法はどうされますか?分団で行かれるか、おかあさんとおふたりで行かれるということもできますが」といわれたときは、集合場所は家の前だし班長さんも顔見知りの子だし分団といっても4人きりだし、とあまりなにも考えずに「じゃ、分団で登校します」と答えてしまったけど。学区をこえて車通学している(同じよーなコをもつ)友人たちも多いが、考えてみればこれが6年間続くわけですからね。この道を毎日歩き続けることがユーガが小学生になったということなんだろーな。少し感慨深いものがありますね。
しかし。そんな思いとは別に。
新しい年とともに3学期になって、ユーガにも「今年の成果」というべきものがあらわれてきてもよさそうな頃だが、・・・「おやおや」と思えることはまだまだありますね・・・とは先日の連絡帳からのユーガの担任・シーナ先生のことば。
4月の入学にはじまってからの「おやおや」状態はいつ休止するのやら。親の私にも、ある程度のことは予想はついたが(先生たちもたいへ−んということだけはね)、それでも毎日連絡帳を読むたびに「はぁー」とため息をつく日は実に多かった。
4月○日 教室の窓をあけていたらそこから校庭に出てしまったことがあったのでしめておいたら、横の小窓から体をよじって(しかも授業中に!)脱出したことがあった。
5月△日 休み時間に2年生の栽培しているプチトマトの畑に入っていって、やっと実がつきはじめたトマトを食べまくった。
7月×日 暑い日、プールの授業がない日にこれからプールにいこうとする3年生についていって入り口で御用となり、床にひっくりかえっているところを教室にソーカンされる。
7月☆日 やはり暑い日。クーラーがきいている職員室に潜入。校長先生の応接室で休み時間ごとに涼んでいたとのこと。(ソファの前の机で書き物をする校長先生といっしょに座っていた、とのウラ情報あり。)
とまあ、およそ授業態度・勉強内容までもいかないところで、これらのことは続いた。
そのたびに落ち込んだりする自分も情けなかったが、ユーガが学校に行っている間は正直気が気ではなかった。ひやひやどきどきで毎日が暮れ、週末がやってくるとほんとに心が安らいだ。「はやく夏休みにならないかなぁ」と心待ちにしていた(親が、ですよ)。
ユーガも慣れない環境で大変だったと思うが、私も慣れなかった。学校で楽しげな笑顔をみせてくれることが救いであったものの、余裕のない毎日だった。親子ともふーふーいって日が過ぎていった。
そんなときそのココロの持っていきかただが、私の場合はかんたんな話、ひとに話すことで笑いにする。
わが家の周辺はコドモの数がやたら多いので、似たような環境のひとはまわりにかなりいるのである。(それだけショーガイ児の数も多いというか、ふえてるんですね。)
「授業中10分くらいしかもたないらしいよ。先生と手をつないで朝の会をやってるって」
「うちもさ、トイレが心配だから着替えをもってきてっていわれちゃった。もー小学生なのにさ」
いいだしたら止まらないっといった感じにはなるが(しかも相手の話題の上をいくわが子の「事件」を持ち出してきりかえしていくという手法がこの場合はかかせない)、最後はきまって、
「まー、でもがんばってるとこもあるしね、長−い目でみるしかないか」
という結末にたどりつかせ、健闘をたたえあうのである。
ある日のランチ。久しぶりに幼稚園時代のママたちがあつまって優雅にイタリアンレストランでお食事、という光景。
私もいつもの登校着を脱ぎすて集う。ワインなんか頼みたいじゃない、と思いし瞬間、ヒジョーにも携帯が鳴り響く。学校からの着メロはサティの「あなたがほしい」。通話ボタンを押す前に用件はだいたい想像がつくように設定してある。
「モシモシ」息をつめながら出たくはないがいってみる。
「ああ、もしもし。わたくし、綿帽子小学校のクサナギと申しますが」
教務主任のツヨモンなのね。よりによって。とすれば重大事件発生か。
「ユーガくんが実はですね。粗相をしてしまいまして。着替えがございませんので一度、おかあさまに届けていただきたいと思いまして」
遠足でもスーツ姿であらわれるクサナギ先生の、(私とあまり変わらない年齢のハズだぜ、たぶん)折り目正しいことばづかいと沈着冷静な声に、私も負けずあわてず受け答える。
あーあ。きのうなら学校から5分の家にいたんだけどな。
私が電話をしている間、ママたちにも「またユーユ、やっちゃったかなモード」が立ち込めていくのがわかる。
携帯をきり厨房にむかい、コックさんたちに 「すみません、私のペンネいちばん最後にしてくれませんか」 と頼み、 「ちょっくら行ってくるね」
とママたちにいう。
「いってらっしゃい」「待ってるね」「事故らないでね」という声に送られつつ店をでる。(びっくりしてるんだろうけど顔にださないのは、やっぱりみんなも「母」だから、ということなんでしょうかねぇ)
私は学校に取って返しユーガをうけとり(実は粗相はお下痢だったのだ)、家のシャワーをあびせ着替えをすませ、教室で待っている先生に手渡しした。
彼は、無事5時間目の「さんすう」の授業を受けることができたし、私は私で、この間の用を30分でこなし、また、かのレストランに戻ってママたちがデザートを食べている間、ペンネを食べることができた。めでたし、めでたしであった。
「子育てなんてそんなもんよ、ってみんなはいってくれるんだけどね。みんな3人とか4人とか育ててるひとも多いから、ユーユなんてかわいいもんよ、なんてさ」
「うん、だけどフツーのコっていうのはそういう手間はある程度で卒業するわけよね。でも私たちの場合はどうなんだろう。ずっとずっと続いていくキョーフはあるよね」
こーやって、ひそかにまわりのひとに支えられながら、この一年はやってこれたのかな、と思う。そーやって笑い話にしなければやってこれなかった、という悲しい現実の裏返しでもあるのだが。
|