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よみたい!ネット
エッセイ

 

シリーズ 天使、なんて呼べない。
第3回 トモダチってすばらしい

柊野ポネ  
 

 

 コドモが寝静まった深夜のひととき、ケルティックハーブの旋律がここちよく心にはいってくる。ひとりになれるこの時間は主婦と母親には貴重だ。だからみつけたときはとても愛しい。読みかけの本を集中して読んだり、たまっていた映画のビデオをいきおいよくまとめて見たり、やりはじめた勉強のテキストをめくったり。たあいもないテレビ番組を流しながら家事の雑用をかたづけているときだって、ユーガがそばにいるのといないのでは気ぜわしさがちがう。

 

 思えばユーガは眠るということも苦手だった。夏場になると、長時間の熟睡が特に続かなくなるので(夜中になると突然ぱっとベッドを飛びだし遊びはじめてしまう)、早寝を心がけても暗いうちからご起床となる。幼稚園のころは迎えに行くと、よく事務室のソファでひとりすやすやと眠っていた。

 

 小学校入学を機にコドモ部屋を形づくって、机(いちおうね、親としての夢もありますし)とベッドをいれてあるのだが、いまもって誰かがいっしょに横にならないと寝つけない。そこですぐまた眠ってくれれば母の自由時間もうまれやすいのだが。そーは運ばないのが、子育てというものですかねぇ。

 

 眠りこんでいる顔をのぞくと昼間の戦争はうそのよーだ。「天使」のヘンリンもないとはいえない。朝、声をかけると眠ったまま口もとが笑っているときがある。今日はご機嫌うるわしくすごしてくれるかしら。(その予兆があたらぬことが多いことも事実だけど)まったくアンタの武器は、これしかないんだからね。人好きのする性格とその笑顔なのだから。

 

 ひとりで遊ぶということもなんとなくむずかしい。テレビゲームにも夢中になれない、自転車にもまだのれないなど、ひとと「あそぶ」手がかりも限りなく少ないユーガにとって、自己アピールは自分のキャラを前面に押しだすことしかない。(隠しようもないキャラだしね)

 

 咲いている園庭の花を食べちゃう、いつも裸足で高いところにのぼっている、そんな彼だったから、幼稚園ではじめて男の子のオトモダチができたときには、とても驚いた。もちろん、ユーガが話してくれたのではない。そのオトモダチの母たちが私にそう語ってくれたのだが。
「クラスのなかでいちばんユーガくんが好きなんですって。動作が機敏なんですって?(ここは笑えるところではありますがね)そこがすごいなあって」
「気になってしょうがないみたいですよ、いつもうちでユーガくんの話題になります」

 

 オトモダチはあかちゃんのころから漠然とまわりにはいた。(♪いちどあったらともだちで、まいにちあったらきょうだいさ、という人間関係のころですね)お世話をしてくれたりするおしゃまな女の子のオトモダチができたときもうれしかったが、ユーガそのものを受けとめて好きになってくれたということが、にわかには信じられなかった。(しかもその若さで!)もともとそーゆーことを、親の私としてはあきらめていたところがあったし。

 

 しゃべれないのに。なにもできないコなんですけど。私にもはじめてコを介してママの知りあいができた形になった。それからは幼稚園の行事でビデオや写真を撮ったりすることが、すこし気が軽くなった。(なんせいつもドキドキしてましたからね、そーゆーときは)。「オヴラディ・オヴラダ」にのって、そのコたちに左右はさまれ肩をくんで登場する舞台発表のビデオは、何度となく家族で見た。ユーガひとりが画面に大写しになる思い出ビデオよりも、私にはオトモダチにかこまれての「その他大勢のうちのひとり」のビデオのほうがうれしかった。いつも先生が横につきそう記念撮影写真が多い彼だからなおさら。

 

 小学生になった今は、登校して校門に入ると自然に私と距離をおいて、教室に向かって歩きだす。彼のノーリには、彼しか知りえない学校生活での自分のイメージがあるのだろう。こーして彼はここで一日、また社会生活をおくるわけです。ときに気にかけられ、ときに無視されながら。

 

 送りだすまでのさまざまな努力は親として当然かもしれないが、コドモの織りなす人間関係にはなりゆきにまかせたいと思っている。しょせん学校は先生とコドモの世界なのだから。親の存在の力およぶところは限られてくる。いいかえれば、ユーガがどんな人間関係を築こうが、彼自身がそれを背負っていくしかない。イジメラレタリ、奇異ニオモワレテモ、それをはねかえす武器を、彼が彼なりに取得していくしかないのだ。親としていちばん信じたいものはそれしかない。

 

「あねもねクラスの子たちはたくさんバレンタインデーのチョコまわってくると思うよ」
「そーか、『特権』ということかな」
とは先日のイベント時当日、ユーガがチョコレートのかわりの手づくりクッキー(現在歯医者通いのユーガのことを思いやってのことだと思います)をわたされたとき、上級生のおねーえさんグループと私との会話である。
「きっと学校で食べちゃうから(トーゼンそうだろーね)、おかーさんにわたしておきます」ふーん、けっこううまいことやってるんだね、ヤツは。ありがたいことで。こーゆーことを感じるたびに、素直に私はそう思う。

 

 ユーガのおかげで私自身、微妙な、目には見えない、ことばではいいつくせない、ひととひととをつなぐ「きづな」の強さについて、以前よりも深く考えるようになった。たとえ「何も」できなくても、話すことばを持てなくても、同じ価値観が保てなくても、ひとが惹かれあう要素はもっと別にあるのだということを。それは、こーいったコたちだけがあわせもつ特性なのかもしれないけれど。新しい時代を形づくる、ひととひととのなにかの手助けになるキーのような。そんな気さえもおきてくる。

 

「今日ね、ユーガ、校長先生たちにおんぶされてたよ」という報告を耳にするたび、親としては冷静にかえる。いつまでもそれですむと思うなよ、かわいがられているうちに次なるワザをあみださないとそれこそ置いてかれちゃうぞ、その努力をおこたるなよ、ユーガ、と底抜けの笑顔の彼にいい放つ母であった。

 

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