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コラム

 

2001年・断流に立つ・・・<前編>


針川英智  
 

 

 人は何にでも線を引きたがる。
 ちょうどその境界線、2001年を越えた。何かが大きく変わりそうで意味深長な境界線ではある。

 

 私自身にとっての大きな境界線は約2年前、勤めを辞めて独立した所にある。
 独立して何を始めたかというと、SOHOという言葉がぴったりする。伝統的な用語で言うと自営業、個人事業主といったところか。たまたま対象としているのがインターネットに関わる事なので、ちょうど良い用語がみつかったわけだが、無ければフリーランサー、フリーターといった用語が近いかもしれない。

 

 さて、ここではSOHOやITについてのお話しをするつもりはない。私自身をSOHOに追いやった(?)ような大きな変化の分岐点に、現在、誰もがさしかかっており、それは何か?これから何をすべきか?を探ろうとするものだ。

 

 それもただ空理空論に終わるのではなく、私自身のこれからの行動の指針として明快な物にしておきたい、という思いもある。
 千年紀の区切りに当たり、こうしたものをまとめておくのも一興であろう。
 前編、後編と長くなるが、お付き合いいただけたらと願っている。

 

大きいことは良いことだ?

 

 変化の分岐点、境界線はまだはっきりとは見えない。
 しかし、ドラッカーの断絶の時代、トフラーの第三の波、堺屋太一の知価革命、など、既に変化の兆しについては多くの書物が著されてきた。

 

 これらの中では、これまで人間社会に起きた変化は常に連続的な趨勢の上で起きたことであり、歴史上の革命ですら、その延長線上での変化に過ぎなかったのだ、ということが語られている。
 ドラッカーの著書の原題は「discontinuity(不連続)の時代」。何の不連続か、というと趨勢の不連続、つまり、これまでの趨勢が断ち切られる、ということを言っている。

 

 人は常に経験を積み、そこから法則性をみつけて将来を予測、リスクを避けながら現実に適応していく。とりわけ大きな趨勢を見極めながらその流れに乗っていく、できれば誰よりも先駆けて行こうとする。それが大きなチャンスに繋がるからだ。

 

 さて、大きな趨勢とは?
 果てしない成長、拡張、巨大化、集中化のことだ。
 そもそも、人類は生まれてこの方、集まって群を作り、これを大きくしていく方がより安全で効率良く繁栄に繋がることを学習し、洗練させてきたのだ。
 産業革命もこの延長線に過ぎない。趨勢を「革命的」に加速しただけのことだ。

 

 趨勢に乗って得た大いなる繁栄。
 しかし、その代償も大きかった事を忘れてはならない。

 

 よく歯車のように、という表現をするが、巨大なシステムは繁栄と安全のために個々の役割を単純化し、特定の役割のみを果たすように強制する。それを逃れたければ歯車を動かせる中枢部へと激烈な競争に勝利しなければならないが、実際にはごく一部の人間に限られる。
 この状況は人の心を蝕む。豊かさを物質や金銭、肩書といったものと思い込み、倫理観を麻痺させ、徐々に自らの属するシステムを腐食させていくのだ。

 

 最近、ニュースを賑わす企業の大型合併は、その後の経過を見てみるとほとんどがうまくいっていないようだ。逆にスピンアウトなどで専業に特化した部門や小さなベンチャーが急成長するようなケースが目立つ。ただ、いずれもある程度の規模に達すると生彩を失っていくが。

 

 また、都市への人口集中とそれによるコミュニティーの破壊。農村地帯の過疎も大きな問題である。これらも経済の繁栄の代償と言えないだろうか。

 

 いったい何が問題なのか?どうすればいいのか?
 そこに思い至るとき、先に述べた変化の兆しが見えてくる。

 

環境の限界

 

 限りない拡大と集中は物理的な限界にも近づいてきた。
 環境汚染と資源枯渇だ。

 

 人というものは懲りないもので、石油ショックで大きな教訓を得たにもかかわらず、対策は遅々として進まない。
 マルサスの人口論は化学肥料や農薬、品種改良による収穫量の増加で杞憂と思われている。ローマクラブのゼロ成長論も、今では口にのぼらない。
 地球温暖化は科学的根拠でまだもめている。
 そうしているうちにアフリカ大陸、アジアの砂漠化は毎日進行し、南米の密林は消滅していく。

 

 魚資源は漁業技術の進歩により乱獲が進み、急激な資源枯渇に直面している。全滅してしまった漁場も少なくない。
 生態系のバランスを崩してしまったために絶滅する品種はどんどん増えている。最近は環境ホルモンの悪影響も取り沙汰されてきた。

 

 発展途上国は皮肉なことに衛生状態の向上に連れ、人口が爆発していく。
 これは経済状態が一定レベルに達すれば避妊法などにより安定していくと思われるが、同時に要求されるエネルギー資源や農業資源はそれまでに十分持ちこたえることができるのだろうか?

 

 このままの趨勢で行けば、拡大と集中は遠からず破綻するのは目に見えている。環境保護運動や啓蒙運動だけで解決するには全く不十分だ。癌の増殖にも似た人間のあくなき拡大をスローダウンさせる必要がある。

 

 技術的には問題解決の糸口はある。
 太陽熱、風力、波力のように自然エネルギーを利用した発電、バイオマスによる石油化学製品の代替、資源リサイクル、ITによる生産や流通の効率化といった要素技術を様々に組み合わせれば地球全体で自給自足し、自然と共存できる仕組みを作れるかもしれない。

 

 しかし、大事な問題は別の所にある。

 

家庭と家族

 

 残念ながら、海外での家庭や家族の実体について実際の知識は持っていない。主に日本についてのみ対象とせざるを得ない。
 ただ、米国での青少年の銃乱射や麻薬の蔓延については根が同じなのではないかな?と感じてはいる。

 

 古い話になるが、私が小学校低学年の頃、教科書では日本は農業国と出ていた。農村人口は50%だったと記憶している。これが高学年から中学に上がる頃には20%まで低下、工業国と変わっていた。
 その頃は身の回りと言えば商店や農家、小さな工場などの人がほとんどで、サラリーマンというのは珍しい職業だったように思う。

 

 それがいつの間にか石を投げればサラリーマン。と同時に、いつの間にか道をかけずり廻る子どもの数が減り、今ではほとんど見かけない。
 新築の建て売り住宅やアパートがみるみる増え、その主は若い夫婦と子供だけ。顔は見かけるけど名前も知らない、話したこともない、といった人が増えてきた。地域のコミュニティーはほとんど消滅している。

 

 団塊の世代の常として、同僚は多く、競争は激烈。成長期で仕事はすれば結果が出たから、面白くて仕事中毒。妻は二人の子供で手一杯。
 私自身、そうした典型的な核家族状態で過ごしてきた。

 

 歪みは子ども達に出た。今日の青少年犯罪の凶悪化を持ち出すまでもなく、異常な子供が増えている。

 

 おそらく、歪みの一番の原因は、私たちの子供時代にあったコミュニティーが消え、多様な世代、多様な環境の人たちとの接触が希薄になり、その代替を画一的なテレビ番組が埋めてきた、ということにあるのではないか。

 

 家族、というとき私は両親以外に他の親族や交流関係も含むイメージを持つ。一方、家庭というとき、夫婦と子ども達だけの閉じたイメージを持つのだ。

 

 閉じた家庭と画一的な学校、同じようなテレビ番組。
 そして、異口同音に「良い学校を出て良い会社に入る」。

 

 このような環境で育った子ども達が果たしてどれだけ正常な現実感覚を持てるだろうか?そして、彼らの子達は?

 

 考えて頂きたいのだ。
 なぜ、このような環境を作ってしまったのだろうか、と。

(→後編へ)

 

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