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ショートストーリー

 

クロックムッシュはいかが (つづき)


   
 

 三日後のことだ。友人の紹介で個人病院の面接を受けた帰り道、曲がり角に咲き始めたコスモスが目にとまり、歩調をゆるめたとき、前方から声をかけられた。
「エイコ」
 驚いて見れば、そこに章仁がいた。頬にまだバンソウコウが貼ってあるが、髪を黒くして、ピアスもはずし、ジーンズにおとなしいチェックのシャツを着て、そして花束を抱えている。元暴走族にはとても見えない。
「お礼です。キザ過ぎ?」
 私は花束を受け取り、小声でありがとうと言いながら、まだどぎまぎしていた。「またな」って、このことだったのね。これは、素直に受け取っていいのかしら。
「そんじゃ、またな、エイコ。仕事頑張って」
「え、うちに寄ってかないの?」
「だから、むやみに男を部屋に入れるなって。若い女が」
 若い女・・・ですか。どうも気に入らないな。私は章仁の背中に向かって言った。
「女じゃなく、女性って言いなさい。それから勝手に呼び捨てにしないで」
 章仁は足を止めずに振り返り、片手をあげた。
「またな、エイコ」
 花束を胸に、私は笑い出してしまった。

 

 ブランクはあったが、病院の仕事には思っていた以上に早く馴染んだ。別れた夫は医者で、出会ったのも病院だったから、仕事中ふとしたことで昔の恋愛時代がよみがえったりもした。けれど、感傷に過ぎない。ただの思い出だ。

 

 章仁はどうしているのかな。帰り道、コスモスを見るたびに思うのだった。まともな生活をしているかな。危険なことはしていないかな。あの綺麗な笑顔が、苦痛にゆがんだりはしていないかな。

 

 

「いい匂い」
 早朝、公園をジョギングしていたら、金木犀の香りがした。秋も深まってきたのだと、少しのせつなさとともに、微笑んだ。やがてくる寒い季節も、私はひとりぼっちで過ごすのだろうか。
 友達も親も、そう遠くない所にいるけれど、寂しくないと言えば嘘になる。それでも仕事にも就けたし、フラワーアレンジメントも習い始めたし、こうしてジョギングしたりして体も動かしている。あとは、何をすればいいの? どうしたら寂しさを乗り越えられるの?

 

「おはよう、エイコ」
 私はビクッとして立ち止まった。驚いたけど、そう声をかけられるのを待ち焦がれていたような気もする。
「章仁くん」
 しかし、その姿に私は絶句した。髪も黒いし、ピアスもしていないが、微笑んでベンチの上にぐったり横たわっている彼は、血まみれだった。
「これで、ちゃんとあいつらと切れたから。ははは」
 昨夜のうちに起こったであろう惨劇を想像し、私はめまいがした。
「救急車、呼ぶわよ。今日は」
「・・・お願いします。死にたくないから」

 

 救急車の中で、血の付いたスウェットの膝を抱え、私はショックに震えていた。看護婦なのに、彼の傷がまともに見られない。
「エイコ。大丈夫だよ。びっくりさせてごめんな」
「だから、気安く呼び捨てにしないでよ」
「ははは」
「ご両親に連絡しなきゃ。おうちの電話番号は?」
「親なんていないよ」
「一緒に住んでいる人は?」
「もうすぐ一緒に住む人の名前は、エイコ」
「・・・」
 瀕死の傷を負っているとは思えない。なんて子なの、本当に。

 

 病院の敷地内に入り、車は止まった。ストレッチャーが音を立てて近づいてくる。いきなり朝の光が車内に溢れかえり、まぶしさに手をかざした。その一瞬に彼はこう言ったのだ。
「本気なんだけどな。やっぱ無理かな、俺じゃ」
 私は返事に困った。けれども、そのとき何かあたたかいものが胸を包んだのだった。まるでデタラメ。こんなの、信じられない。でも、また二人で朝食をとる姿は、とても自然に想像できたのだ。どうしてこんなに、というくらい自然に。
「クロック・・・なんだっけ?」
 ストレッチャーで運ばれながら、章仁は私に訊いた。
「クロックムッシュよ。・・・また作ってあげる」
 章仁は、この上なく幸せそうに微笑み、手術室に消えて行った。「手術中」のランプを見上げて、必死に無事を祈りながら、小鳥が帰って来るのだ、と私は思った。

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