HOME | BACKNUMBER | WRITERS' PROFILE | FAQ | CONTACT FORM | From READERS
A

よみたい!ネット
ショートストーリー

 

聖夜のプティフール (つづき)


   
 

 「このスープ、すごく美味しい」
 「栗のポタージュ・リエ、カプチーノ仕立てだって。シナモンの香りがお洒落だね。あ、そうだ、西山はどうしているかな。あいつ、カプチーノ好きだったな」
 「あなたが亡くなって、会社もだめになっちゃったみたいよ。西山さんにはお葬式の後、一度だけ会ったけど、今はどうしているか知らない」
 「そう。明にも悪いことをしたな。でも、あの頃は楽しかった」
 「本当に信じられないくらい楽しかったわ」

 

 魚料理は鯛のムニエル、サフランソースだった。絵のようにきれい。
 「あの恋には悩みなんて全然なかった。そんなの私、初めてだったの。東郷さんは物語の王子様みたいだったわ」
 「ははは。リコは可愛いお姫様だといいたいの?いやほんと、お互い忙しかったよね。なかなか先のことを話し合う時間もなかった。まだこれから、お互いを知って、将来を考えればいいと思っていたんだ。ゆっくりと。でも、結果的には何も約束しなくて良かったんだね」
 「それは違うわ。みんなにもそう言われたし、多分、だからこそ3年間そばで支えてくれた直ちゃんと結婚もできたんだけど・・・」
 「リコ?」
 「私がどんなにあっけにとられたか、わかる?東郷さん」
 口直しのソルべはレモンの味だった。

 

 「悩みのない楽しい恋の、たったひとつの痛みが、決定的な相手の『死』だったんだよ。現実感のない恋の、たったひとつの現実が、もう会えないってことなの。この恋愛と呼んでいいのかさえわからないものを、どう考えればいいのか。エピローグもなく終わっちゃって、宙ぶらりんな気持ちで、でも、本当にあなたが好きで、それすらちゃんと伝えてなくて・・・」
 涙が頬を伝う。困ったな。食器を下げに近づきかけたギャルソンが、遠慮して向こうへ行ってくれたようだ。急いでハンカチを当てた。

 

 「ごめんね、リコ。あの日、土曜日だったのに、急に静岡まで行かなきゃならなくなって、大急ぎで帰る途中だった。リコを待たせているなあって、ついアクセルを踏み込んじゃった。そうしたら・・・」
 思わず耳をふさぎたくなったが、私は耐えた。そして、自分も伝えなければと思った。
 「あの日、私も取材が入っちゃったの。それで、駅からお店に電話をかけようと思ったんだけど、公衆電話がなかなか見つからなくって。私も待たせて悪いなって、すごく焦ってた。やっと見つけたら、それがダイヤル式で、手がかじかんじゃってうまく回せないのよ。東郷さん、これ、知ってる?」
 私はバッグから携帯電話を出して、テーブルに置いた。
 「なに?電話なの?」
 幻の東郷俊平は、目を輝かせてそれを見た。少し低めの甘い声。私の大好きだった、あの声だ。

 

 メインディッシュが運ばれてきた。鹿肉のフォアグラ詰パイ包み焼き、黒トリュフのソース。
 「あの頃、携帯電話があれば、あんなにお互い焦ることもなかったんだろうね。このお店のウェイティングバーで、あなたがまだ来ていないことを知って、私、自分の部屋に電話したの。留守電が入っているだろうって。そうしたら、入っていたのは西山さんの声だった。あなたが事故に遭ったって・・・」
 辛かった。病院に駆けつけて、医者が即死状態だったと告げるのを聞いたとき、唖然として涙も出なかった自分。あの一瞬を思い出すたび、胸が張り裂けそうになる。そして、それは多分、これからもずっとそうだろう。それは仕方がないのだ。
 気を取り直して、微笑んでみる。ドラマティックなトリュフソースの味が、ボルドーの赤ワインによく似合う。

 

 「毎年ね。マライア・キャリーのクリスマスソングが聞こえてくるたびに、東郷さんに電話する夢を見ちゃうのよ」
 「マライア・キャリーのあの歌?『All I Want For Christmas Is You 』。今でもよくかかるの?」
 「うん。もうすっかり、このシーズンに欠かせない曲になっているよ。あの頃の私たちみたいに、元気が良くてワクワクするような歌だよね。でも、東郷さん、『マライアって風につけられた名前なんだよ』って、ロマンチックなこと言ってたでしょ」
 「ああ。ブロードウェイのミュージカルで歌われていたナンバーから、マライアのおかあさんがとって、娘の名前に付けたって、あれね。『THEY CALL THE WIND MARIAHA』。あの話、解説書で湯川れい子が書いていたんだ、実は」
 「うーん。あとでわかったよ」
 二人は同時に笑ってしまった。

 

 「生きていたら・・・」
 私は口に出してから後悔した。携帯電話があったなら、というのと同じこと。イマサライッテモハジマラナイ。
 「別れていたんじゃないかな」
 彼の意外な言葉に驚いた。彼は微笑んでいた。限りなく優しい顔だった。
 「俺、わがままだからさ。最初の3ヶ月くらいまでだよ、優しいの、きっと」
 「あ。あのね、私もわがままであまったれなの。仕事に生きるなんて言ってて、美緒が生まれたらやめちゃった」
 「美緒ちゃんっていうんだ。可愛い名前だね。リコ、仕事頑張ってたのに、もうしないの?」
 「美緒がもう少し大きくなったら、多分また働くわ。仕事してない私はどう?所帯じみた感じでしょう」
 「リコは変わらないさ。あの頃も今も、いい女だ」
 「・・・ありがとう」
 デザートが運ばれてきた。色とりどりの小さなケーキやアイスクリームに感嘆しているとき、
 「愛していたよ」
 と、聞こえた気がした。

 

 もう、食事も終わりだ。東郷俊平の幻とも、そろそろ別れる時間が来た。そのとき、お店の人が近づきこう言ってくれた。
 「プティフールとブランデーをお持ちしましょうか」
 私は思わずにっこりしてしまった。
 トリュフチョコレートは、もうおなかいっぱいであるにも関わらず、口に入れると嬉しい。味覚を通して心に染みてくるようなお菓子だと思う。
 とても満足して楽しんだディナーコースだけれど、どこか満たされていないような寂しさがあった。それは、あるいは終局からの逃避かもしれない。そんな切なさを感じている私を、ほろ苦く、控えめな甘さのチョコレートが、まるで元気付けてくれるようだった。心に染みる。これで、終われる。これが、エピローグ。ブランデーの力を借りて、そっとつぶやいてみた。
 「私も愛していたわ」

 

 丁寧に、でも暖かく、お店の外まで見送って頭を下げてくれた人たちに
 「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
 と挨拶をし、石段をゆっくり降りて、通りに出た。すると、そこに見なれた車が止めてあり、夫が降りてきた。
 「迎えに来てくれたの?」
 直樹は笑いながら助手席のドアをあけてくれた。そして、
 「前の男とちゃんと別れてきた?」
 と、冗談ぽく言った。私は、私のサンタクロースの首にしがみついた。

 

 

 その晩、また夢を見た。電話をかける夢だ。そして、ダイヤル式の公衆電話。一瞬、緊張するが、落ち着いて受話器を持ち、硬貨を入れる。しっかりとダイヤルを回す。
 「もしもし、東郷さん。私は今、幸せです。あなたと会えて良かった。だからもう、あなたを忘れますね。ありがとう。さようなら・・・そして、メリー・クリスマス」

(前ページへ戻る)

 

クリックしてね
ブラボークリックボタン
 ブラボークリックについて
     
A
HOME | BACKNUMBER | WRITERS' PROFILE | FAQ | CONTACT FORM | From READERS