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よみたい!ネット
ショートストーリー

 

マッシュルームサラダ・春仕立て (つづき)


   
 

 私は大学を出た後、故郷の地方都市で高校の美術教師をしながらイラストを描いていた。しかし、とあるコンテストで入賞したのをきっかけにイラストレーターに転向し、再び上京、今に至っている。まあ、食い扶持を稼ぐのがやっとの生活だけど。
 優奈のように美人ではないが、私だって全くもてなかったわけではない。何人か、こんな私にも好意を寄せてくれる男性がいた。でも男女の仲には誰とも決してなれない。恵一しか考えられなかったのだ。このまま、そう、貧乏イラストレーターのまま、ひとり老いていくのかなあ。40を過ぎたあたりから、少々気弱な私である。だから、優奈からのお誘いは本当に嬉しかった。いろいろ話がしたかった。

 

 

 「あったよ、美帆子!」
 優奈がはしゃいでいる。珍しい。でも、私も嬉しかった。赤レンガの洋食屋さんが、薄暮の街角で、ほんのり明るく優しげに佇んでいた。店の前、イーゼルに立て掛けた小さな黒板に「本日のおすすめ」メニューが書いてある。私たちは顔を見合わせニッと笑った。そこにあるひとつのメニュー、マッシュルームサラダに反応したのだ。
 店内は昔よりきれいになっていた。テーブルごとにキャンドルが置かれ、ムードがある。でも、テーブルに掛かっていたのは赤と白のギンガムチェックのクロス。やっぱりこうでなくっちゃね、と私は優奈にウィンクした。
 オーダーをとりにきたのは若い女性で、もちろん知らない顔だったが、それは仕方あるまい。私たちはコンソメとオムライスふたつとマッシュルームサラダひとつを頼んだ。それが「本日のおすすめ」メニューであり、20年前の私と優奈のスタンダードメニューだったからだ。

 

 「マッシュルームサラダって、ただマッシュルームとキュウリをスライスしてドレッシングかけてあるだけじゃん」
 「でも待って。このドレッシング美味しいよ。素材の味をよく引き出している。うん、この味はちょっと真似できないかも」
 当時の私と優奈は、そんなふうにしてこの店のマッシュルームサラダに惚れ込んだ。今日のサラダには、当時なかったプチトマトがひとつ乗っていて、少し可愛らしい風情である。私たちもプチトマト1個分くらいは進化したかな。
 「なつかしいね」
 「なつかしいね」
 でもなんで私たち、涙を浮かべちゃってるのかな。

 

 

 食事をしながら、優奈は近況報告をしてくれた。仕事のことはよくわからないけど、きついながらも順調らしい。そして、久史とは2年半ほど前からまた付き合い始めている優奈。久史の奥さんが病気で亡くなってから、もう7年がたつ。結婚はしないの?という私の問いには首を振った。
 「今のままがいいの。この年になって自分の生活スタイルを誰かに合わせて変えたりするのはね、なかなか難しいと思わない?」
 うーん、私だったらどうだろう。ちょっと変えてみたい願望もあるのは、貧乏イラストレーターだからだろうか。優奈のようにキャリアを積み上げながら築いてきた生活スタイルだったら、きっとそうそう簡単には譲れないのだろう。

 

 でも、多分それだけではないはずだ。結婚、ということになれば、久史にとっては再婚だ。優奈のお父さんも再婚したのだからイメージはだぶるだろう。それも優奈のお母さんが病死して2年もたたないうちに、と確か言っていた。そしてすぐにカザハちゃんが生まれて・・・。多感な少女時代に味わうにはちょっと辛い経験だ。トラウマになったとしても不思議はない。
 「本当はね、前の奥さんと比べられるのが怖いの、私。久史はそんな人じゃないけど、無意識のうちに絶対比べてしまうと思うの」
 「なるほど。私が優奈だったら、比べてほしいくらいなんだけどな。あなたなら絶対勝つからさ」
 「もう、美帆子ったら」
 「赤ちゃんは欲しくないの?」
 地雷だったかもしれない、と思いつつ、やはり聞いてしまった。一瞬視線を落とす優奈の姿に私は慌てて謝ろうとした。しかし、優奈はすぐにキッと顔を上げて言った。
 「私、赤ちゃん産めないのよ」
 久史の子どもを流産したことがあったのだと言う。そのとき、もう産めなくなったと医者に宣告されたのだそうだ。初めて明かされた優奈の暗い過去と現実だった。「知らなかった、ごめん」としか言えなかった。急に久史が憎く思える。

 

 優しい優奈は「もう終わったことよ」と微笑んでくれた。
 「40代になっちゃったね」
 「40代だねえ。困ったね」
 「全然変わっていないのに」
 「精神的にはまだまだ全然、大人じゃないのに」
 「じゃ、あの頃に戻りたい?」
 「いやだ。苦しかったもん」
 「若いって切ないよね」
 「お肌はピチピチだったけどね」
 「あはは。ピチピチだったねえ」
 「41にもなると、やっぱあちこち傷みが出てくるわよねえ」
 「ふふふふ」

 

 41歳。同級生の女性は、卒業後いろいろな道に進み、そしてその多くは今「お母さん」になっている。私や優奈が「もしも結婚して子どもを産んでいたら」と思うことがあるように、彼女たちも「もしも結婚せずに、働き続けていたら」と思うことがあるだろう。もちろん結婚して子どもがいてなお仕事を続けている人もたくさんいる。その人たちにしても「もしも子どもがいなかったら」とか「もしも仕事を辞めて子育てに専念していたら」と思うことがあるはずだ。
 若かった私たちには、たくさんの選択肢があった。女の子はお嫁さんになってお母さんになるのが当たり前、という世代ではもはやなかったから。それはありがたいけれど、選択の責任は自分にある、という点で緊張を伴うこともまた事実。さまざまな事情や条件の加減で、必ずしも望んだ道を選んだ人ばかりではないけれど、歩いているのは最終的に全て自分で決めた道なのだ。その事実は重い。それに選択肢が多いということは、もしも他の道を選んでいたら、とつい思わずにいられないところが、これはこれでなかなか残酷なものだ。特に、女性には。何故なら選んだ選択肢が、肉体的タイムリミットを含む後戻りできない類いのものである場合が多いからである。
 優奈とそんな話をした。「でも、選択肢があるってシビアな面もあるけれど、やっぱりいいことよ。ところでこの先にはもう選択肢は、そう、人生におけるターニングポイントとなるような選択肢はないのかな」と私がぼやいたときだった。優奈の携帯が鳴った。

 

 

 「遅いわよ。もう、食事済んじゃったわ。今どこ?」
 優奈が笑っている。どういうこと?
 「なんだ、そうなのね。じゃあ、早く入ってきてよ」
 携帯を切ると優奈は私に微笑んだ。
 「久史と・・・恵一よ」

 

 驚いて声も出ない私の前に、二人の男性が近づいてきた。
 「ごめんね。実はこの店がまだあること、私、知ってたのよ。恵一が教えてくれたから」
 「恵一、ネパールじゃなかったの?」
 まだキツネにつままれたような気分の私に、本人が答えた。
 「先週、日本に帰って来た。美帆子に連絡がとれなくて焦ったよ。久史の会社を覚えていたから電話して、優奈に番号を教えてもらおうとしたんだけど・・・」
 確かに私は半年前に引っ越しをした。そんなに遠くではなかったけれど。恵一には通知のハガキが届かなかったらしい。でも、優奈に聞いたのなら電話してくれればいいのに。恵一が言い淀んでいると、今度は久史が笑いながら話し出した。
 「優奈はすぐには教えてやらなかったんだ。恵一さ、この町に美帆子が帰って来たのかもしれないって、アパートに行ってみたんだってさ。そしたらコンビニになっていて。でも、この町を歩いていたらあの頃のこと、いろいろ思い出して、それで・・・」
 「もういいよ、よせよ」
 恵一が久史を止めて、私の隣の席に腰をおろす。
 「久しぶりだな、美帆子。ところで結婚してくれないか」
 私が目を丸くしたのはもちろんだ。優奈はにこにこと席を立つ。
 「美帆子、さあ、お待ちかねの人生の選択肢よ。私ね、ここで二人を会わせたかったの。それじゃ、邪魔者は去るわね」
 「優奈、ちょっと待って」
 優奈はテーブルを回って私の肩に手を置いて小さな声で言った。
 「私は久史と結婚しないまま付き合い続ける道を選んだわ。でも、美帆子には美帆子の道がある。私たちはずっと親友よ。どんなことがあっても。どんなに遠く離れても」
 そうして片目をつぶる久史の腕に手を回して、優奈は店を出て行った。

 

 「ネパールに一緒に来てほしい。今、俺がいる村では子ども達に絵を教えてくれる人が必要だ。そして俺には美帆子が必要だ」
 恵一よ、単刀直入にも程がある。あきれて見つめ返す私だった。しばらくは選択肢を棚に上げて、まずはあなたを抱きしめたい。今、私はこの人にそう言おうとしている。

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