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特別企画

 

密航少年Kayの亜米利加県聞記――1900年初頭の北米大陸
Vol. 2

中川吉蔵/光子
 

 

第二章 ナナイモ市のK少年

 

●三人の日本人

 

 翌日はナナイモへの出発の日である。その日本人は僕を駅まで見送り、切符とナナイモの彼の友人の所書きを渡してくれた。
 ビクトリアを出て三十分もした頃、濃紺のモーニングを着た車掌が回ってきた。僕が所書きを見せると、「まだまだ。」というふうに手を振る。その後も車掌が来るたびに所書きを示すが、その都度手を横に振って通り過ぎる。車掌がこの次だと合図してくれたのは夕方5時近くになってからだった。
 駅舎を出てどうしたものかと思っていると、いっしょに降りた上品そうな婦人がやってきて「どこへ行くのか」というような手振りで尋ねる。所書きを示すと同じ方角に行くらしく、付いてこいという仕草をするので、この婦人に随いていった。20分ほど行ったところで立ち止まり、一軒の家を指さした。どうやらこの家のようだ。
 遠慮がちにドアを叩くと、中から白シャツのままの日本人が現れ、僕を見るなり相好を崩した。
「よく来た、よく来た。」「さあ、こっちへ上がれ」
 彼らは夕食の準備の最中だった。「何か作ってやろう」と一人がご馳走の気配を示せば、一人は「もうこれからはズッーとうちの子だからな」と親愛の情を示す。食事が終わると、「怖くなかったか」「どうやって上陸したか」と質問ぜめだ。
「日曜は休みだから遊びに行こう。一人で遊びに出てもいいが、道に迷うからあまり遠くへは行くなよ。」
「ここは英国領だからその服ではまずい。明日買ってきてやろう。」
僕を取り囲んで夜の更けるのも忘れての大騒ぎだった。

 

 次の朝は皆、七時に食事をして出勤だ。仕事場が近いので、オーバーオールにジャンパーを羽織ったままで徒歩で通勤する。その日は夕方五時を回るとすぐに帰ってきた。
 約束通り買ってきてくれた英国風の服は、膝の上までの半ズボンに、スキタンという黒い長靴下である。見るとどちらも子供用のものだった。確かに僕は小柄だが、これにはなんとも情けない気分になった。
 毎日家の中にばかりいても退屈するだろうから一人歩きできるようにと、夕食後に英語を教えてくれることになった。しかし彼らの英語そのものがかなり怪しい代物だ。二、三日すると片言混じりの誤魔化し英語はすぐ種切れになってしまった。「これは本当の英語じゃないが、これでも結構通じるんだから。まあいいさ。」と笑い出す始末。

 

 日曜日が来た。今日は仕事も休みで朝も遅い。彼らはヒゲ剃り、洋服のブラシかけ、サンデーシューズ磨きや、ワイシャツに新しいカラーをつけるなど、なかなか忙しい。しかし誰もが楽しげだ。
町に出ると、歩いている者は立派な服装の堂々たる紳士淑女ぶりで、昨日までの労働者、店員とも思えない。それがまた実によく似合うのは、さすがは紳士の国、英国領だと感心する。
 遊びに行く先はと聞くと墓地だと言う。思わずがっかりしたが、これが日本の墓地とは大違い。手入れの行き届いた芝生が見渡す限り続いて、一本の立木も柵もない。芝生の中は、数十メートルおきに高さ一メートルばかりの丈の低い十字の墓石が点在する。所々には花壇があり、色とりどりの草花が咲き乱れ、噴水もある。まるで公園だ。一段高い丘に登ると、コンクリート造りの大きな四阿(あずまや)があって、二十脚ほどの木製のきれいな安楽椅子があり、人々が思い思いの方を向いて景色を眺めながら話し合っている。時にはここで演奏会もあるという。
 立ち並ぶ墓石の中にキラキラ輝くのを見つけ、近寄ってみると、石の表面がガラス張りのようになっていて顔まで映る。石も磨けばこんなに光るものかと、僕はしばらくの間見とれていた。

 

●頭文字はK

 

 十日ばかりした頃、僕は彼らに学校へ通うよう薦められた。彼らのレッスンだけでは英語の上達はおぼつかないと思ったのだろう。学校には「日本から弟が来たから、よろしくお願いします。」と頼んでくれた。
 先生はニコニコしながら、身振り手振りも交えて「生徒といっしょにいれば、すぐ言葉がわかるようになりますよ」といってくれた。
 学校といっても、日本で言うところの小学校だ。目の前にいるのは十歳から十三歳くらいの子ども達である。こちらは十七歳なのだが、背の高さはほとんど変わらない。半ズボンに長靴下という格好も手伝って、悔しいくらい違和感がない。
 一人の少年が「カムヒアー」と僕を招く。隣に腰を下ろすと何やら話しかけられた。どうやら「僕はジミー。君は?」と聞いているらしい。僕はうまく話せないから「頭文字はK」と言って名前をローマ字で書いて見せた。しかし長すぎるのと書き方がまずいためにジミーも先生も読めないようだった。結局彼らは頭文字をとって「ケイ」と僕を呼ぶようになった。一字ではまずかろうと、書くときは「Kay」と書くことにした。以来、これがカナダ・アメリカでの僕の通り名になった。

 

 学校に日本人は僕一人だったから、学友とはすぐ親しくなった。のみならず一週間もするとどこを歩いていても「Kay!」と声をかけられるようになった。言葉の方も、半年ほど学校へ通ううちにすっかり上達し、これには家の人たちも感心してくれた。
 そうなると、僕は本来の向こう見ずに立ち戻っていった。ナナイモは町が小さいので、もうどこへ行っても顔見知りができ、何の不自由もない。しかし平穏無事の生活こそ、僕にとっては最も落ち着かないものだった。もっと大きな町へ出て何かがしてみたい、という気持ちがむくむくと大きくなる。
 そこで僕は、バンクーバーへ行きたいと頼んだ。みんなはしばらく顔を見合わせて黙り込んだ。
「君がいなくなると寂しくなる。僕らは君が大人になるまで育てたいと思っていたんだよ。それは君がどうしても行くというなら止めはしない。でも一月に一度は帰ってきてくれ。君はこの家の子なんだから。」
 これほど別れを惜しまれると、さすがの僕もよっぽどバンクーバー行きを見合わせようかと思った。なんといっても、誰一人知人のいないナナイモへやってきて半年もの間、僕を自分の家族同様にかわいがってくれた人たちだ。別れが辛くないわけがない。しかしこんな小さな町で埋もれてしまうのは嫌だ、という思いは断ちがたかった。結局、時々帰って皆を慰めればよいと自分を納得させた。彼らも僕の決心の堅いことを知り、バンクーバーの木材会社に勤めている友人に紹介してくれることになった。

 

 バンクーバーへ向かう僕が手にしていた物は、両親の写真、シャツ、Yシャツとカラー三本。赤いネクタイ。日本からの靴と、タオル一本。封筒。鉛筆、学校の教科書三冊。ポケットにはハンカチとナイフ。これが僕の全財産だった。まだまだささやかな財産だが、上陸したばかりの頃を思えば、随分持ち物が増えたものだ、と感慨深かった。

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