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特別企画

 

密航少年Kayの亜米利加県聞記――1900年初頭の北米大陸
Vol. 9

中川吉蔵/光子
 

 

第九章 ロサンゼルスへ

 

●南京虫騒動

 

 大学が始まったことを理由に船を下りたが、いざ陸に戻ってみるとすぐに学生倶楽部に戻る気にはなれなかった。一応挨拶はしにいったものの、今学期は休ませてもらうことにした。
 「誰かが休んで困ったときにはいつでも手伝いに来るから」と言って足を向けた先はロスアンゼルスだ。海軍時代ロスアンゼルスやロングビーチにも寄港して歓待を受けた。その際、カリフォルニア州南部は気候も穏やかで景気も良く、日本人に対する待遇もいい、と聞いていたのである。

 

 今度の旅は学生倶楽部でいっしょだった久保田君も同行した。二人でロサンゼルスの停車場に下り立ち、日本人町のホテルに宿を取った。
 夜半過ぎに久保田君が僕を揺り起こす。
 「君、君、南京虫だ」
 見ると、枕の下へぞろぞろと南京虫がもぐり込む。枕カバーもシーツも白いからよく見える。
 「こんなにいるのによく眠れるな」
 「少しはかゆいが騒ぐほどでもない。安ホテルじゃ仕方ないよ」
 そう言って眠ってしまったが、久保田君は朝まで南京虫と格闘していたらしい。赤く膨れた手や首を見せて、ぶつくさ言っている。
 「南京虫は飛ばないから取りやすい。心配ないよ。それに昼間は出てこないから今のうち寝たらどうだ」
 「君は南京虫のいる部屋が好きなんだろう。僕はもう我慢できない」
 結局、ホテルに部屋を換えてもらったが南京虫の跡が消えるまでには二、三日かかり、その間彼はずっと不機嫌だった。

 

●ロスアンゼルス内外を散策する

 

 ロスアンゼルスの日本人町は、スプリング街、ブロードウェイなどのメーン街の商業地区にあった。後にブロードウェイは押しも押されもせぬ繁華街になったが、当時も十数回建ての日本人経営の大商店が建ち並び、数階建ての大きなホテルも十以上あった。中には僕らが泊まったような南京虫クラスの古いホテルも何軒かあったわけだが。
 ロスアンゼルスも今では五百何十街まであるそうだが、当時は三十街から先は店がほとんどなく、広い庭園つきの大邸宅があった。どこも庭にはいつも青々とした芝生が広がり、花は一年中咲き乱れ、噴水が潅水を兼ねている豪華さ。

 

 電車は市内ならどこまで行っても五セントで、車内の半分はゆったりとした籐椅子で快適だ。乗客は夏服あり合い服ありで、聞いてみると気候が温暖なので一年中夏服でも合い服でも大丈夫だという。雨がほとんど降らないので、靴は一足でもいつもきれいにしていられる。
 そんなだから旅行者も軽い鞄一つだけで済むというので、我々には似合いの場所だと大喜び。
 ただ一つ困るのは、昼は十二時から一時まで、夕方は五時以降でないと食事はもとより、コーヒーもお茶も飲めない。不便でないのかと言えば、アメリカにはそんな不規律な人はいないという。

 

 電車で一時間も行けば、そこは日本人経営の野菜畑が続く市外。レタスにセロリ、イチゴ畑もある。
 母屋はバラック建てのこともあるが、農作業は馬が欠かせないので牧草の収納舎兼厩舎はどれも母屋の十数倍もある堂々としたものだ。
 もっと先の方には、ビート畑がどこまでも続いてる。ビートすなわち甜菜(砂糖大根)だ。収穫したビートを製糖会社に納める契約にすれば、製糖会社から資金を借りてビート栽培を始められる。収穫後は製糖会社が前貸しの分を差し引いて払ってくれるので、資金がなくても経営が始められるというしくみになっているという。

 

 反対側に行くと、これまた何百町歩単位のオレンジやネーブルの畑。こんなに広い果樹園では草取りが大変だろうと思ったが、どの園にも雑草は一本も生えていない。ここらへんでは雨は十二月から二月までの間に二時間ずつ三回ほど降るだけで、年平均降水量は四、五十ミリ。いつも土が乾いているから雑草が生えないのだという。
 それでは水はどうするかと聞けば、五十町歩に一つくらいの割合で七、八百メートルの深さに井戸を掘り、発動機で揚水する。最初の設備費は大変だが、一度作ってしまえば長く使えるのだそうだ。
 野菜も果物も、ここからアメリカ全土に送られるが、特に果物は気候が温暖で雨も少ないため甘みが強く、評判が高い。だから農家はみな経済的に豊かだ。
 一方市街は避暑や避寒の客が絶えないのでホテルも商店街も景気がいい。人々の心持ちも穏やかになるわけである。

 

 久保田君はそれでも懐が寂しいのが気になるようだったが、僕はあくまで楽観的だ。
 「仕事がなければイチゴ摘みをするのもおもしろそうじゃないか。ビート畑を手伝ってもいい」
 バークレーとはだいぶ様子の異なるロサンゼルスを前にして、胸が高鳴るばかりなのだった。

(→Vol. 10)
(←Vol. 8)

 

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