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第十章 なんでもやってみよう
●名家のバトラー
さて、久保田くんと二人で毎日遊んでいるうちに小遣いも心細くなってきた。ここいらで仕事を探そうと職業紹介所へ行ってみると、二十歳前後から四十歳ぐらいまでの婦人ばかりいる。よく見ると婦人の職業紹介所だった。入口の表札を見落としたらしいが、まあ来たついでだと求人黒板を見てみる。
求人はずいぶんたくさんあるが、誰も行かないところを見ると、給料が安いか条件が悪いかなのだろう。そうこうしているうちに求人申込みの電話がかかってくる。もっとよいのはないかと、みんな待っているわけだ。
そのうちに、どういうわけか「若い男、バトラー」という電話が入った。普通の仕事はせいぜい三十五ドルから四十ドルなのに、これは七十ドルととび抜けて高い。婦人連中が目を見張って「すごいお給料ね」とささやいている。
バトラーというのは男の場合で、女はバーレットと言う。ともに家庭の支配人で、男のいる方が上流家庭なので給料も高い。仕事は来客の応対をしたり家中の花を毎日変えたりコックに料理を注文したり。食事時には給仕をし、夜は家中の者が寝室に入ってから戸締まりをする。服装は午後はタキシード、夜は燕尾服。女の場合は黒のドレスに白い前掛け、頭に小さい白いリボンをつけている。
僕は服は持っているがやったことはない。しかし何しろ条件がいいので、これ幸いと行くことにした。
その家は、米国財閥の一人で、ユダヤ系の大銀行ヘルマン銀行の頭取ヘルマン氏の私邸で、門を入ると青々とした芝生と大きな噴水のある大庭園があった。
主人のヘルマン氏は温厚で至極上品な人であるが、夫人はそれほどでもない。しかし夕食会の時には、日本の長い袴のように、靴の先より一メートルくらい長いスカートをはいて出てくる。これはアメリカの上流家庭の風習なのかあるいはユダヤ人の儀式のときの礼服なのか。どちらか知らないが、その後も他の場所ではついぞ見たことがない。
ヘルマン氏邸では毎日来客があり、毎晩夕食会があった。この家に来て三、四日した頃三人の来客があって、夕食会を催すとのことであった。この日は七種類のコースだというが、僕は四種類くらいのコースまでしか知らない。七種類となるとどうなるのか、もう見当もつかない。
酒も四種類出すことになり酒の種類によってグラスも違うわけだが、僕は酒を飲まないから酒の種類もグラスの使い分けもさっぱりだ。その上コースによって出す酒も異なるのですっかり混乱してしまった。
食卓の順序も、両正座にヘルマン夫妻、主人の右が女の客、夫人の右が男の客、くらいはわかっているが、後の順序は滅茶苦茶だ。シェリーもクラレットもわからないで注いで回っても、流石に誰も文句を言わないが、出鱈目なのは自分が一番よくわかっているので気の毒でたまらない。
食事後、来客とヘルマン夫妻が連れ立って外出したので、僕はともかくも一仕事終えた気になって、後かたづけをして九時過ぎには自室に帰り、服を着替えた。ちょうどそのときヘルマン夫妻が帰ってきて、玄関のベルをしきりに鳴らす。本来ならば正装で玄関まで出迎えるべきなのだが、服を着替えてしまった後なので出るに出られない。しばらくして女中が扉を開けたようである。
僕にとってバトラーは初めてだから、こういう事情のわからないのも無理もないが、知っていることにして雇ってもらうことになったのだから、何とも言い訳のしようがない。これはもう首になると観念していた。
次の日の午後、ヘルマン氏も夫人も不在の時、裏の玄関のベルが鳴った。ドアを開けて驚いた。ホテルに残っているはずの久保田君が立っている。
「いよー、君がいたのか」「どうしたんだ」「いや実は、この家のバトラーの口があるから来たのだ」「さては僕はクビになったのだな」
実は久保田君は、僕が一人で職探しに出たまま戻らないし、金はなくなるしでじっとしていられなくなり、僕と同じ職業紹介所でこの仕事を聞いてきたのだった。
「君そりゃ駄目だ。僕も駄目だが君でも務まらない。とても難しい」
と言うと、
「駄目なら夫人も留守だし、会わずに帰る方がいいだろう」
「じゃあホテルに戻って待っていてくれ。今日までの給料をもらってゆく」
と久保田君を先に帰した。
夕方夫人が帰ってきたのを幸い、久保田君のことは言わずに「明日からはこちらの仕事ができないから辞める」と告げた。
こうして僕のバトラー体験は五日で終わった。ヘルマン夫人は、僕が至らなかったのにも関わらず八ドルほどくれた上に、頼んだら在職証明まで書いてくれた。名門であるから、万が一にも他所へ悪く言われたくないと思ったのかもしれない。
●セールスマン
僕ら二人が宿泊していたホテルには、中原という若い夫婦が泊まっていた。主人は酒の販売をしていて毎日注文取りに走り回っていたが、なかなかの好人物だった。ある日、よいことを教えようというので部屋を訪ねると、
「仕事を探しているなら洋服のセールスをしてみないか。とてもよい仕事なので自分もやろうと思ったことがある」と切り出した。
中原さんの言うことには、服地の見本と寸法書きの帳面、メジャー、身体のバランスを見るメーターなど、必要なものは一式会社で貸してくれる。注文を取って寸法書きを会社に送ると、出来上がった洋服は代金引換で送ってくれる。
マージンは一着売れば五ドルから十ドル。自分の服は原価で作れる。中にはずいぶんと手広くやっている人もいる、ということだった。
「もし希望なら会社に紹介してあげるし、自分の得意先も教えてあげよう」
そのうえ注文の取り方まで教えてくれたので、中原さんの得意先の日本人鉄道官舎へ行ってみることにした。
翌朝、教わった道順の通りに行くと、橋の向こうに百戸ほどの長屋が並んでいた。ここだなと思って度胸を決め、長屋の前に立った。
しかし「こんにちは」とも「ごめんください」とも言葉が出てこない。「洋服屋でございます」とはますます言えない。ついにあきらめて、その棟を一渡り歩いて、いったん橋の上に戻った。
今度は思い切って声をかけようと決心して、別の棟へ向かう。一軒の家の前であたりをしばらくながめて、また次の家の前に立ってみた。
やはり入れない。
再び橋の上に戻って二時間くらい休んで、今度こそと思って三番目の棟へ向かった。しかし、結局今度も何もできず、あきらめてホテルに帰った。
夕方中原さんが「どうだった」と聞くので「会えなかった」と言うと「それでは勤務中だったのかな」と言う。訪ねていないとは言い出せなかった。
僕は今までずいぶんいろんなことをしてきたし、ひとりでやっていける自信もあった。しかし今日の不首尾を省みると、実のところまだまだ世間になれていないし押しが足りない。こんなことではとても世界中歩くことなんてできないぞ、と反省し、これからは大いに勇気を出そうと心に決めた。
そのうち慣れてくると、これはなかなかおもしろい仕事だった。会社からもらった鞄さえあればどんなところへ行っても仕事ができ、資金もいらない。一週間に一、二日働けば金に困ることもないし、それほど手数もかからないから、他の仕事の片手間でも充分やれた。商売のおもしろさもわかってきて、後でシボレーに入社するきっかけにもなったのである。
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