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特別企画

 

密航少年Kayの亜米利加県聞記――1900年初頭の北米大陸
Vol. 13

中川吉蔵/光子
 

 

第十三章 ベンツの修繕

 

●名目技師の試練

 

 僕の技術者としての信用が高まってきたことはまんざらでもない気持ちだったが、そのためにとても困ったことになった。
 この農場の機械倉庫の一つに、ドイツ製のベンツが一台あった。当時の自動車だから、幌も前面のガラスも客席のドアもなく、ヘッドライトは石油ランプである。車自体はそれほど古くはないのだが、前の技師が故障したとき分解したきり直せず、バラバラに放り出したままになっていた。農場主のチャプマン氏が、これを何とか乗れるようにしてほしい、と言うのである。
 自動車の組み立てなんて、僕はもちろん未経験だ。まったく自信がないまま、しばらくは暇があれば倉庫へ行ってベンツを眺めていたが、いつまでもこうしてはいられない。やってみてどうしてもできなければ、何とか口実を作って駄目だと言おう、半年かかってもかまわないと腹をすえて、さもわかっているような顔をして修繕に取りかかった。

 

 まず始めが道具の手入れだ。新型や専門の道具はないが、随分たくさんある。全部出してぴかぴか光るまで油で磨くのに、数日かかった。次には車体全体をきれいにし倉庫を掃除して、気持ちよく仕事ができるようにした。
 さて、道具も自動車も部品も皆ぴかぴかになり、もうすることがなくなってしまった。いよいよエンジンの組み立てに取りかからねばならない。あの部品、この部品と、合いそうな部品を取り付けてみたりはずしてみたり、手探りで組み立てていく。
 この間も毎日の仕事は果たさなければならない。午前中はたいてい備え付けの発電所、水道、冷蔵倉庫のモーターを見て回る。こうしていても自動車のことが気になるが、あまり自動車にばかりかかっていて、長くかかりすぎると思われてはエンジニアーとしての権威に関わる。カモフラージュするためにも、あちこち見回ったり修理しておくことも欠かせない。

 

 この農場の主人チャプマン氏には二人のお嬢さんがいた。上が中学生、下が小学校四年生ぐらいである。
 フランスから移住した一家なので、ふだん家族ではフランス語を使っている。英語を身につけるため、毎日三時間ほど家庭教師について英語を勉強しているのだが、その合間を見ては僕のところに遊びに来るようになった。「フランス語を教えてあげる」と言ってはいるが、どうやら僕と覚えたての英語で話せるのが楽しいようだった。年も近いので、いい遊び相手ができたと思っているのかもしれない。
 家庭教師に教わっているといっても二人の英語はそれほど上手ではなく、訛りも少しある。そこで僕は英語を教えてやろうと、なるべくきれいな言葉で話すように心がけた。チャプマン氏や夫人も時々通りがかると、娘たちが僕と楽しそうに話しているのを見て、嬉しそうに会釈していった。

 

 こうして、日々の機械の点検と自動車の修繕を並行して行い、姉妹の話し相手をして二ヶ月あまり。どうやら組み立てが終わった。点検してみてもだいたい間違いはなさそうだ。油を入れ、ガソリンや水のタンクも点検した。大丈夫のはずだ、とは思うが確信はなかった。

 

●エンジンに柏手を打つ

 

 次の日、僕は朝から車庫へ向かった。ガソリンを温めるために熱湯をタンクに入れ、プラグを焼いて、ガソリンをタンク一杯に入れた。エンジンに柏手を打って拝み、力一杯に始動した。ボコッと音がする。勢いを得て、力の限り始動棒を回した、回した。
 するとエンジンがかかった。奇跡だ。
 急いで機械の回りを走り回って、停まらないように調節した。だんだん調子が出てきて、エンジンが熱くなってきた。
 もう大丈夫だ。
 そう思った途端いっぺんに身体の力が抜けて、気が遠くなりそうになった。
 反射的に僕はエンジンの前に座り、エンジンを拝んだ。自然に、日本にいる両親の顔がまぶたに浮かんできた。自分の無事と成功を祈ってくれているに違いない両親を思い、幼少の頃からのことを次から次へと思い浮かべていると、涙があふれてとまらない。ともすると忘れがちにしている不孝を詫び、おかげで健康でいることを感謝し、両親の無事を心に祈って、一刻涙に暮れていた。

 

 自動車の修繕に成功したことを誰より喜んでくれたのは二人の姉妹で、その無心の喜びようには心を打たれた。
 試運転に乗せてくれとせがまれて、翌日は広野に等しい、片道1時間もかかる農場を走った。このときはエンジンの調子は充分でなかったが、彼女たちはそんな事は知らないから大いにはしゃいでいた。

 

 主人もまた、非常に喜んでくれた。
 これまでは、農場の者が馬車で駅まで往復するのが日課だった。駅には新聞や手紙、小荷物などが留め置かれる、備え付けの私書箱があるのだ。この私書箱だが、切手をほしいときは現金を入れておくと、郵便車の係が箱の中へ入れて置いてくれるし、切手がなければ現金を箱に入れておいてもよい。交通の不便な土地柄ならではの便利なしくみになっていた。来客があったり農場の誰かが街に出かけるときも馬車で送迎する。時には一日に何往復もしていたわけだ。
 主人はせっかく自動車が動くようになったのだからと、自分で駅まで行きたがり、そうした時には僕が運転手をつとめることになった。

 

 さてこうして居心地がよくなったところだが、僕はそろそろ引き上げ時が来たと思った。自動車修理に成功したのはまぐれだ、というのは自分が一番良くわかっている。長くとどまるうちに他の機械が故障したら手に負えなくて、せっかくの面目が失墜するようなことになりかねない。もう五ヶ月も勤めたのだから、潮時ではないか。
 
主人に辞意を告げると非常に残念がってくれて、
 「給料が少ないなら、もっと多くしよう。娘たちも友だちができたように、非常に喜んでいる。なんとか思いとどまってくれないか」
 といってくれたのには感激した。
 心からの送別会をしてくれた皆の親切に感謝しながら農場を後にし、今度は久しぶりにロスアンゼルスへ帰ることにした。

(Vol. 14へ続く)
(←Vol.12)

 

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