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よみたい!ネット
エッセイ

 


第2回 最初に住んだのは動物園

佐々木ハシチウォヴィッチ申子
 

 


 ポーランドに来てから1週間がすぎようとしていた。トラム(路面電車)で寮と大学の間にある茂みの中を通り抜けながら、私は今この国で、こうして当たり前のように生活しているという現実に、言いようのない喜びを感じていた。客観的に見ればこの1週間は、取り立てて良いことというのは一つもなかったのだが。

 

 大使館から指定された私の最初の留学先は、繊維工業で有名な街、ウッチだった。ポーランドで最も美しい街とされているクラクフに希望を出していたのに、どういうわけか工業汚染の最も激しい街の一つといわれているウッチに行くことになったのだ。

 

 街としての規模は大きいが、特に観光したいようなところもない。ウッチというのはポーランド語でボートという意味だが、皮肉なことにこの街には川もなければ湖もなかった。目抜き通りが一本あるだけで、あとは何の変哲も無い建物が軒を連ねていた。
 アンジェイ・ワイダが出たポーランド唯一の映画学校があることでも有名だが、残念なことに当時の私のポーランド語といえば、挨拶と自分の名前がやっと言える程度だったので、ポーランド語でポーランド映画を楽しむという醍醐味を味わうには程遠い状態だった。

 

 街としての魅力は無いにしても、せめて寮だけでも住み心地の良いところであれば、といいたいところだが、これがまた想像を絶するほどの汚さだった。
 私に当てられたのはウッチ大学付属学生寮第13番だった。この数字からしてイメージが良くないが、中の環境と言えば全くひどいものだった。以前にウッチの語学学校で勉強したことのある日本人に、この寮に1年間住んだことを話すと、「あんなところによく1年も住めましたね」と言われたぐらいだ。

 

 寮について最初に私を出迎えたのは2匹のねずみ。玄関のホールで管理人が来るのを待っているときだった。
 45キロの荷物を抱えての長旅の後、やっと寮にたどり着いたかと思うと、管理人は留守。いつ帰ってくるかもわからないまま延々2時間も待たされた。
 そんなときに現れた2匹のねずみに対し、汚いといった感情は無く、むしろちょっと心細かった私をなぐさめてくれる同輩のようにさえ思えた。

 

 寮は5階建てで、私の部屋は333号室、ポーランドでは3階、日本式に数えれば4階にあたった。部屋は二人部屋で、4部屋が一つのブロックにようになっており、1ブロックにトイレとシャワーが一つ、という造りになっていた。廊下とこのブロックの間には本来ならドアがあるはずだが、どういうわけかドアは外れて無かった。

 

 部屋の中は非常にシンプルで、壁には備え付けのクローゼット兼戸棚がついていたが、そのほとんどは戸がかみ合わず、常に開けたままの状態になっていた。
 家具といえば真ん中が大きくへこんだ鉄のベッドと引き出しも何もついていない机といすが二つずつ置いてあるだけだった。窓にはカーテンも無く、クリーム色に塗られた壁ははげており、ところどころさびた釘がとび出していた。
 トイレはこれまで見たことも無いほどの汚さで、天井につけられた小さな裸電球はきれていた。シャワーと通路の間を仕切るはずのカーテンは、誰かが持って行ったのか、ついていなかった。

 

 さすがに、これらすべての状況を把握し、次の行動に移る力を得るには時間を要した。この閑散とした部屋に置かれた大きなスーツケースとリュックだけが、何の欠陥も無いすばらしいもののように思えた。
 幸いなことにポーランドの9月は日本よりも日が長く、すでに6時をまわっていたが太陽はまだ高かった。そんな空を見上げながら、昨日まではあの空の向こう側に居たんだな、などとどうでも良いようなことを考えた。
 なんとなく向かい側の寮の部屋に目をやると、窓にはレースのカーテンがかかっており、部屋の造りは似ていたが、テーブルにはテーブルクロスがかけられ、しゃれた卓上ランプなども置いてあり、いかにも部屋らしい。
 どうせここに1年住むのなら、住みやすい部屋にしなくては、と思い立ち、日本から持ってきたラジカセでバーシアを聴きながら部屋の掃除をはじめた。

 

 ポーランドでは英語は通用しないことは、これまでの旅行経験で承知していたが、まさか外国人寮や外国人のためのポーランド語学校の事務室でも通用しないとは思ってもいなかった。シャワーカーテンがないこと、トイレの電球が切れていること、部屋のカーテンが欲しい、といった日常の基本的な問題を訴えるにも、伝えるすべが無いのだ。
 英語でどんなに不便さを訴えても、寮の管理人から返ってくることばといえば "Jutro, tomorrow" (ポーランド語でjutro―ユートロは「明日」という意味)だけなのだ。
 最初のうちは明日になれば用意してくれるんだ、と思い次の日まで待った。でも、そのうちjutroは永遠にこないということが経験をもってわかってきた。
 文句をいっても通じないし、相手が言っていることも何もわからない。早くポーランド語ができるようになりたい、と毎日何度も思った。

 

 経験をした者にだけわかる苦しみなのか、去年までこの寮に住み、同じポーランド語学校で勉強をした外国人が、困っている私を見てとても親切にしてくれた。
 藁をもつかむ思いで、私はその人たちの助けをかりた。寮の管理人との交渉の通訳はもちろん、どこの店で何を買うのが一番安いか、電車のキセルの仕方に至るまでいろいろ教えてもらった。
 そのうえ、シャワーカーテンも電球もどこかの部屋から盗んできてくれた。こうしてみんな物がなかったり消耗したりすると、よそから盗んでくるから、あるべきはずのシャワーカーテンがなかったりするのだ、という仕組みも分かってきた。

 

 私を助けてくれた外国人から聞いた話だと、どうもちまたでこの寮は"ZOO"と呼ばれているらしかった。人間が住むようなところではない、という意味なのか、いろんな人種の集まりで、まるで動物園のよう、という意味なのかよくわからないが、とにかくポーランド人はみなそう呼んでいるらしかった。

 

 確かにここに来た初日、日本ではあまり関わることのなかったアフリカ、中近東の人が、大声で何か言っているのを聞いたとき、動物が吠えているように響いた。
 お互い共通のことばというのもなく、ポーランド語ができるようになるまでは、無口になるか、無駄かもしれないが自分のことばと身振りで訴えるしかなかった。それぞれがそれぞれの文化をここに持ち込み、どこかでぶつかり合いながらも共存している。それが動物園のようだ、といえばそうなのかもしれない。でも、表現の仕方や感情のあらわし方がストレートなだけに、「人間の住む社会」よりもずっと人間らしくもあった。

 

 こんなことを思い起こしながら、動物園の檻のような部屋を、もう少し部屋らしくすべく、私は買い物をしに街に向かおうとしていた。もう、最初にトラムに乗ったときのような緊張もなく、どこで降りれば良いか目を凝らして外を見る必要もなかった。ここで生活するすべもなんとなく心得、ほっと息をつく余裕も出てきていた。それでやっとこの地に足をつけることができた、という喜びも生まれてきたのだと思う。
 すべての新しいことが、徐々に当たり前のこととして受けとめられるようになってきていたのだ。

 

 ここに住み始めて1ヶ月ばかりたった頃、知り合いのポーランド人が、この寮の実態を知り、格安のアパートを紹介してくれた。興味があったので一応見に行ってみた。
 ポーランドにはよくある家具つきのアパートで、本棚から机、テーブル、ソファまですべて揃っており、寮とは雲泥の差だった。家の中にはいれば、完全にプライベートが守れる。
 これまでのように、みんながまだ寝静まっている早朝に、ビクビクしながらシャワーを浴びることもない。息を止め、一大決心をしてトイレに行くこともない。アラブ系の学生の格闘を部屋の中で小さくなって聞くこともない。台所で料理していたものが、部屋に戻っている間に盗まれていないだろうか、という心配も要らないのだ。

 

 これらすべてのことを承知の上で、結局私はこの話を断った。一生に二度と体験することもないであろうこの寮での生活を、楽しんでみることにしたのだ。
 実際、ここに住んだ1年の間に、これまで一束一からげで考えていたアフリカ、中近東、中南米の国々が、私の中でそれぞれ独立した国となっていった。それぞれの国の違った習慣や宗教も、普通に受けとめられるようになった。ポーランド人がどの国に対してどういう意識をもっているかも垣間見ることができた。

 

 ZOOの一頭の動物として、他の動物たちと交わり、檻の中から外の世界を見るという経験は、やはりZOOに住まなくてはできなかったものだと思う。ポーランドの中にいながら、ポーランドを外から見ているような体験。中にどっぷり入り込んでしまうと見えないものが、このZOOからはたくさん見えたような気がする。

 

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