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よみポケ
エッセイ
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<シリーズ>
天使、なんて呼べない。
第1回
ユーガなるショウガイ児の母となるには

柊野ポネ



 学生時代の私には二つの進むべき夢があった。 どちらもわたしにとっては、長い年月賭けることのできる自分にとっての天職のように思えた。
 決めかねている心にあれこれ言いきかせた言葉は、不思議にもいまもときどき思いかえす。(二十年近くも前のことなのに)
 「いまは若い自分の感性を生かす仕事を選ぼう。もっと大人になって、 40代になっても、それからでもできる仕事でもある」
 自分の可能性と未熟さを、見ための華やかさと危うさにひかれた方へぶつけ、飛び込んだ形となった。
 もっとありのままにいえば毎日ジャージ姿で働く姿はおばさんになってからの私にとっておこう、と(不遜にも。今から思うとどっちも姿形かまっていられない、という観点では大差はなかった。仕事とはそうゆうものですね。)踏んだわけだ。

 

 それから十数年。そのときの「夢」が、思わぬところからやってきた。
 会社勤めをへて一応の生活が自分でまかなえるフリー業の身になって4年目、突然の妊娠で結婚。そして生まれたコが、いま7才。 わが家から、坂道を下って10分たらずのところにある小学校の障害児学級に今年の春から通っている。
 彼、ユーガとの生活はとりたてての不便さは感じてはいない(つもり)。
 それでも彼自身いわゆる「ことば」をまったくもたないコドモなので、風変わりな点は多岐にわたると思う。

 

 私自身は、こうゆうコドモをもったことを幸とか不幸とか考えるまもなく 一歳半くらいから児童精神科に通って、病名?を告げられた時もそんなに衝撃的なことではなかった。後先の苦労も考えず(その時はね)、
 「まーひとより、個性的に「より」生きられるわけだから、なにかひとつ秀でているものがみつかるといいなあ」
 「子育てにしたってまわりの子と比較することから解放されるし、私流に考えていけばいいのだから。うちのコでよかったね」などと(本当です)、ノー天気にも思っていた。
 しかし、あたりまえのことで現実は「大変」なことの連続だった。

 

 なんといってもユーガは、「ことば」や「行動」の面だけでなく、「知的」にも、すーっごい重度の部類にはいるコドモだったことだ。
 そういう事実の前には、私自身から子育てを飾っていた言葉がぽろぽろと剥がれ落ちていった。目に見えない成長の可能性に望みをつないで毎日をすごすことがだんだんと苦痛にも思えてしまう。
 「なんで私だけがこうなるわけ」
 絶対思うまいと決めていたそんな気持ちも何度となく、(あたりかまわず) 言いたくなった。理想とする子育ての思いなど、はかなく消えていった。

 

 それはいまも同じ。
 「ことば」をもたず、物に名前があることを知らず、えんぴつをにぎって絵を描くことも(もちろん文字も)、ままならない彼にとって学校へいって、なにを学ぶことがいちばんの幸福な選択につながっていくのか。 ほんとのところはわからない。

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