トモダチってすばらしい(つづき)

 小学生になった今は、登校して校門に入ると自然に私と距離をおいて、教室に向かって歩きだす。彼のノーリには、彼しか知りえない学校生活での自分のイメージがあるのだろう。こーして彼はここで一日、また社会生活をおくるわけです。ときに気にかけられ、ときに無視されながら。

 

 送りだすまでのさまざまな努力は親として当然かもしれないが、コドモの織りなす人間関係にはなりゆきにまかせたいと思っている。しょせん学校は先生とコドモの世界なのだから。親の存在の力およぶところは限られてくる。いいかえれば、ユーガがどんな人間関係を築こうが、彼自身がそれを背負っていくしかない。イジメラレタリ、奇異ニオモワレテモ、それをはねかえす武器を、彼が彼なりに取得していくしかないのだ。親としていちばん信じたいものはそれしかない。

 

「あねもねクラスの子たちはたくさんバレンタインデーのチョコまわってくると思うよ」
「そーか、『特権』ということかな」
とは先日のイベント時当日、ユーガがチョコレートのかわりの手づくりクッキー(現在歯医者通いのユーガのことを思いやってのことだと思います)をわたされたとき、上級生のおねーえさんグループと私との会話である。
「きっと学校で食べちゃうから(トーゼンそうだろーね)、おかーさんにわたしておきます」ふーん、けっこううまいことやってるんだね、ヤツは。ありがたいことで。こーゆーことを感じるたびに、素直に私はそう思う。

 

 ユーガのおかげで私自身、微妙な、目には見えない、ことばではいいつくせない、ひととひととをつなぐ「きづな」の強さについて、以前よりも深く考えるようになった。たとえ「何も」できなくても、話すことばを持てなくても、同じ価値観が保てなくても、ひとが惹かれあう要素はもっと別にあるのだということを。それは、こーいったコたちだけがあわせもつ特性なのかもしれないけれど。新しい時代を形づくる、ひととひととのなにかの手助けになるキーのような。そんな気さえもおきてくる。

 

「今日ね、ユーガ、校長先生たちにおんぶされてたよ」という報告を耳にするたび、親としては冷静にかえる。いつまでもそれですむと思うなよ、かわいがられているうちに次なるワザをあみださないとそれこそ置いてかれちゃうぞ、その努力をおこたるなよ、ユーガ、と底抜けの笑顔の彼にいい放つ母であった。


あなたのこころに
届いたら、
クリックして
応えてね↓

作者プロフィール
■前ページに戻る
■ラインナップ
■HOME