<シリーズ>
天使、なんて呼べない。
第9回
話せないひと、話せるひと
柊野ポネ
学生時代の不勉強をとりもどそうと、思いつきから週1回だけ大学にかよっている。
一般の社会人向けのいわゆるオープン・カレッジというやつで、講義テーマは「Fun and Effective Leading」。早いはなしが英語のリーディング、本の読み漁りですね。会話のほうはまったくおぼつかない私が英文の語彙をふやしたくて、スラスラッと翻訳本を原語でよめたらいいなぁ、お仕事の幅もひろがるよね、と安易な希望でうけた授業がなんと、というかやっぱり、というか日本語禁止のクラスであった。
外国くらしの経験があるご年配の主婦の方や元スチュワーデスの女性起業家、海外の転勤をひかえて勤務中にこっそり参加している会社員など、8名いるクラスメートはみなさん、のっけの自己紹介から先生(長身の、でも威圧感を与えない体格と人柄のセイン・カミュ似のロバート先生、私と同年代?)への質問にいたるまで、英語で(あたりまえだぁ)ベラベラしゃべる。
こっちは頭がー―ん!の状態で、自分に関する考えられる、できるかぎりの英作文を頭の中にこしらえて、その場をしのいだのがはじまりであった。その状態が9月から続いているのだが、リタイアすることなく出席している。いまのところは。
考えてみると昔からいつでも私はそうであった。あとさき考えず飛びこんで窮地に追いこめられると、そーゆーときほど逆によーし、やってやろうじゃん!と闘志がわくほうである。もうこれ以上落ちるところはないでしょ、というところまでくるとガゼン闘争的になる。普段は性格的にも行動面でも、のべっとしているが、いったん自分に火がつくと、強気で攻めた方がスムーズに物事が運ぶ。
かくして、教室で会話されるほとんどの内容を半分も理解できないまま、「あっちがわのヒト」になってやる、といきまいている今日このごろである。
しかし、やっぱり歯がゆいね。先生やほかのひとが話しているとき、ある程度なら内容もくみとって、フンフンとうなずき、ハハハといっしょに笑うことだってできるのだよ。そんな私をみて、先生は私に質問してくるよね、トーゼン。しかし、しかしね、で、でないの、そのひとことが。
先日も大学の図書館でかかえる仕事の下調べをひそかにやっておった昼下がりのひととき。(にわか大学生になっての特典はコレだな。便利なの)私をみかけてくれて「元気?」と声をかけてくれたロバートに返すことばが続かない。せいいっぱいの笑顔で「ダイジョウブ、ワタシはアナタのレッスンでベンキョウするのをとてもタノシンデイル」と、つたえる(つもり)のがせいぜい。相手のいっていることもふっと気をぬくとモー、ぜーんぜんついていけなくなるしなぁ。
ユーガも、もしかして毎日こんなじれったい思いをしているんかいなぁ。たいへんだなあ。ここのところ通常クラスの親学級に入って、冬の学芸会、練習まっさかりのわがコの心中へ思いがはせる。
お芝居に参加する、劇の中の人物になる、なんて体験はユーガにははじめてのことである。
運動会みたく視覚で状況がわかるものでもないし、要するに自分のやっていることは客観的にみられないわけだもんね。客席の視線を感じて、めだちたがり屋(意外にそーゆーとこある)の精神がムクムクおきてきて、それを体現するくらいはできるかもしれないが。でも「もっと僕みてみて」ってしゃしゃりでるばかりでは、演劇としてはなりたたないわけだしね。
ちなみに劇のタイトルは「磁石のくに」です。王様のお祝いのためにお城へかけつける小道具たちがたくさん登場する。門番が磁石なので、門にくっついてしまって城内に入れないモノ、入れるモノがいりみだれる悲喜劇とでも申しましょうか。ユーガの役はくっついてお城の中に入れない「クギ」である。