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よみポケ
エッセイ
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<シリーズ>
天使、なんて呼べない。
第15回
私をコンサートへつれてって

柊野ポネ



 だれにもいえない、はずかしいことが私には多い気がする。
 学生時代までさかのぼれば、思いだすと「キャッと叫んでひっくりかえりたい」過去は限りなくある。たとえばそのころの私は、書店で本を買うことがたまらなく絶対的にはずかしかった。いかなる精神構造でもってそうなっていたのかは理解に苦しむのだが、自分の頭脳に追いつかないコワモテの本を、同級生にかくれて何冊もかかえレジ台に運んだ瞬間はその極みにあった。ひとりよがりの自意識過剰女といえばひとことで片がつく。思えば、私の青春はそんな自我と屈折の戦いの日々であった。
 しかし、それもむだではなかった、と感じることが(この年齢になってから、ようやく)最近はよくある。いま自分がしている仕事だって、そのとき方向づけられた知識と感性のストックに頼りつづけてやってきたようなものだから。結局はよき時代であったのだなぁ、と安堵すると同時にしみじみ思う。あのころから私のベースはあまり変化がないのね、という情けなくも、ひたひたとした感懐が。

 

 ひとからみるとなんでぇ?ということだけじゃなくて、隠しおおせたいことはふえつづけている。ロック・コンサートへでかけることもそのひとつだ。「B」という(頭文字でご勘弁を)ユニットに出あったのが数年前、いきおいでファンクラブに入り、ライブにでかけ、HP上で知りあった同志の女の子たちともども熱い時を過ごす。年の数回だけのひみつの狂騒がそこにはある。
 エアロスミスの武道館コンサートにいったのは高校のときだったかな。まわりにいた愛すべきツレたちとさまざまなおばかな道を歩んできた私としては、めずらしきことではないのだが、オトナになって!こんなことにまだ血が騒ぎ、ワー♪キャーと歌い踊っていられる自分が最初信じられなかった。
 ことわっておくと、私自身は追っかけをしているオトナってすきではない。重ねる年齢を尊びたいと思っているし、社会的には歳相応なイデタチと常識をわきまえていたいとつねに願っている。それなのに、である。「あっ、いま○−ジと目があったよぉ、キャー」と隣で興奮するコムスメらとは違うもーん、と頭では思うのに。裏腹に騒ぐこの血よ。やっぱりだれにもいえないよね。

 

 先日ユーガが通っている音楽教室のコンノ先生のところで、ピアノの発表会があった。ピアノ・レッスンをまだうけられないユーガは参加できず、花束をもってオトモだちの応援である。
 ハンディをもったコドモたちも何人となく登場して練習の成果を懸命にみせている姿は、よそのコながら胸うたれる。途中で音が止まってしまってドキドキしたり、演奏が終わってお辞儀を忘れて帰ってしまうコにあたたかい笑いがおきたり。いつもどこででもだれかの手をかりて毎日をおくっている彼らだから、こーゆーときこそたったひとりで、スポットライトを浴びさせてあげたい。
 大役を終えたコドモたちは、みなにっこりとほほえんでいる。その周辺にはきらきらと星が降っているようだった。まわりにいる私たちも幸福な気もちにひたれた。ユーガもいつか同じ場所にひとりで立っている姿を思い願いながら。ママはまってるからね。
 「子犬のワルツ」か、私もこの曲を発表会でひいたことあったけど、ユーガくらいの年齢だったかなぁ。プログラムをみながら、いつしか8歳だった私の、ピアノにまつわる一風景がうかんできた。

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