頭と体にステージの興奮が残ったまま、どこかひとごとのように一夜たって手術が終わった。麻酔からさめようとしているとき、さまざまなヒトの声がいちどに耳に飛びこんできた。私を起こそうとする若い麻酔医の男の先生やナースの女性たちの声、いや、舞台で私の隣でいっしょに歌っていたサクちゃんのソプラノか?先生たちも歌っている、どーして?みんなでハレルヤ、ハレルヤの大合唱だ。
このあたりがいちばんいやだった。麻酔がかかるとき、一瞬にして意識を失う「無」になる感覚もなんとも形容しがたいけど、目ざめるあたり、記憶が混沌として過去も未来もいっしょになって覆い被さってくるあの時間。病室のテレビからの笑い声は確かにきこえていて、傷口の痛さは感じている。私、という意識は日常以上に存在しているのに、私という物体は確立されていない。押し寄せる記憶と戦いながら、少しずつ私が私としての形をなしてくるとき、いやな夢からさめてほっとしている自分がいた。
それ以外はほんとうになんということもなかった。麻酔からさめた翌日から立ち上がって歩き、歯みがきもした。これをきくとみんな仰天するんだけど、執刀医のユズキ先生(どうみても三十そこそこの八木亜希子似のビジョ!性格もいいらしい)が「どんどん動いてくださいね」と透きとおる笑顔でおっしゃるので、がんばったわけです。
読み残して持ちこんでいた何冊かの本も、気力の回復とともにすごいスピードで読み進む。体は日1日と元気になっていくことは実感できたけど、気持ちの上でまたあの悪夢にもどっていくのがいやで、ひとり個室の病室で眠る夜は、お気楽80年代ブリティシュ・ロックをMDウォークマンでずっときいていた。本や音楽にかこまれた日が送れて何よりの休息となったはずなのに、体重は4キロ減り、はいてきたジーンズはぶかぶかになってしまった。生きる力は外部と遮断された世界ではなかなか沸きあがってこないものらしい。
ユーガにとって、母親が突然いなくなった日々はどんなものだったんだろう。現担任のフジタニ先生によると、学校では他人への甘えがめだって、朝早く登校して教室にだれもいなかったりすると、遊んでくれる先生を捜しに職員室にいったり、隣のクラスにトモダチを見つけにいったりしていたとか。彼は彼なりに口はきけないけれど、わけもわからぬこの非常事態を外部とセッショクをとることで乗りきろうとしてたんだろうか。よそのお宅でおいしいものをたくさん食べさせてもらってか、体重もふえてるしね。コドモってたくましいもんだ。
退院後の暮らしは以前と変わらなく過ぎている。どこからか紛れこむ悪夢のフレーズもきこえてこない。夜中にキース・ジャレットをきいていたって心落ちつく時間が流れるだけだ。表面的には何も変わっていないようだが、私とユーガの向かいあう位置がほんのすこしだけ動いたような気がする。私と彼の間にうすい膜のようなものがひろがって、互いの領域をみすえているような気持ちが感じられる。彼の心の成長につながるきざしだったら、うれしいんだけどね。この一週間をとおして得た私の心と体の変化ともども、楽しもうと思っている。これから。