でも、そのヤキモキが最近はちょっと私の中で変わりつつある。
この春から、気楽な(ホントは気楽じゃないよぉ)フリーランス稼業とは別に、ショーガイをもって地域の小学校に通っているコドモたちの手助けを学校に入ってする仕事をはじめた。
十代の終わり、ひとつの夢を胸に大学で学んでいた勉強、取得した資格(ウソみたいな人生のツジツマが私にはあってね。養護学校の教員免許を持っているんデス、アタシ。ユーガが生まれるウンと以前のときから)が、わが人生においてはじめて役にたったわけだ。(そのいきさつは、この連載を第一回から読んで下さっている方でもお忘れだと思います)
それと同時に、ここ数年の、私がユーガと経験してきた滑った転んだ話もムダではなかったと思えて、それもちょっとうれしい。同じ親として、ハンディのあるわがコの子育てと教育に苦心されている親御さんの役に、こんな私でも(私だから!)たてることがあるんじゃないか、と思えてきたんだよね。
そして週に数回なんだけど、ユーガの弟のよーなリューくんと過ごせる時間が、これまたとても楽しい。
歩くことがちょっと不安定、でも話すこともできて字も書けて数の計算もできる彼は、ユーガとは多分対極のショーガイをもっているコなんだけど、彼とのもうひとつの学校生活は新鮮で興味深い。
私は彼の自立の邪魔と負担にならない程度のアシストをして、クラスのコドモたちと授業をうけ、給食を隣りの席で食べ、そして同じモップをもって教室の掃除をする。春の運動会、彼は体調がすぐれなくて車椅子に座って見学だったけど、白組の応援をいっしょにした。
最近感じることは、学校というものはコドモにとっていかにムダな時間が多いか、という貴重な思いである。ショーガイ児だからケンジョー児だからという問題ではないんだよね。毎日繰り返される、与えられた、決まりきったような日常の中で、コドモは時間をたっぷり使って、そこで笑い、何かを見つけて身につけて、いつのまにか大きくなってゆく。
私自身のことだとムダな遠回りをすることがキライじゃないのに、自分のコドモとなると、近距離に合理的に育てたがるムキがあるのよね。そんなこともちょっとわかった。私が学んでばっかじゃ、リューくんに申しわけないんだけど。
いま、ユーガは遅ればせながらの目下、自己主張期と反抗期に突入中。わがままは絶対通さないよぉ、ママのことナメんじゃないッ、と親としての気迫と威厳は守りつつ、私も傷だらけの格闘中ではありますが、ちょっとだけその怒鳴り声にもちがう音色が雑ざっている気がするんだけどな、最近。
あー、時間だ。さっ、学校までひとっ走りいってくるかね。今日はくもり、うれしいわ。