数日後、会社に電話がかかってきた。彼の同棲相手だった。別れてくれないなら私は死にます、と彼女は私に言ったのだった。とんでもない展開。
その夜、エムは腹を抱えて笑い続けた。
「おっとりしてるなぁ、おまえ」
「あんたに言われたかないわよ」
「でもまあ、人の命ひとつ救えたんだから、たいしたもんだよ」
「おだまり」
この頃から、私は自分に男運というものがないのかもしれないと、思い始めていた。恋までいかないうちに、全て壊れてしまうのか。
エムが私の頭を撫でていた。毛羽立ちかけた気持ちが少し、やわらいだ。
◆◆◆
「へぇぇ。そんな話までするんだ」
終業のベルが鳴り、デスクの上を片付けながら、サツキは言った。今日はチーフが出張。早く帰れそうだ。クリームシチューの材料はどのストアで買おうかな。ちょっとのんびりムードの企画室で、さっきからサツキがまたエムのことを聞きたがっている。
「そんな話って。変かなぁ」
「だって、半同棲の男に、別の男とのテンマツ話して聞かせるなんて」
「エムとはそんな関係じゃないよ」
「でもさ、ちゃんとした彼氏ができたら、エムのこと、どう説明するのよ」
「・・・」
「エムはエリにいつかふられちゃうのかぁ。そんなに支えてもらっているのに、薄情な女だね」
「サツキったら」
その時、ドアが開いて、若い男が入って来た。営業の田口君だ。
田口君は新入社員だが、ラグビーで鍛えた力強い体格と、それに似合わぬ童顔、明るく爽やかな笑顔で、入社後たちまち女子社員の間で有名になってしまった人物だった。
その彼が、チーフもいない今日、企画室にいったい何をしに来たのだろう。と思っていたら、こちらにやって来て私に言った。
「エリさん、お茶でも飲みながら、少しお話したいんですが」
意外な申し出にびっくりしている私に、サツキがウインクを投げながら帰って行く。
「僕、まだ仕事があるんですけど、ちょっと休憩です。付き合ってください」
「す、すこしなら」
我ながら間抜けな返事をしてしまった。
クリームシチューが食べたいと言っていたエムの声を、ふと思い出した。
その店で、田口君の顔を、私はあっけにとられて見ていた。
「そんなわけで、入社したときから、恋人にするならあなただと、決めていました」
「入社したときからって・・・まだ半年もたっていないじゃない」
「時間のことを言ってるんじゃないんです」
バサバサと長い睫毛が上下するのに気を取られていると、田口君は時計を見て
「まだ時間がある。メシ、行きましょう」
とレシートを手に立ち上がった。
「ちょっと待って、あたし・・・」
もうレジに歩き出している彼を追いかけながら、再びエムの顔が頭をよぎった。
田口君は謙虚なくせに、妙に強引なところがあるようだ。けれど、悪い感じはしない。それに、敬語で丁寧に話しかけてくれるのも新鮮だった。
・・・エムに話したら、何て言うかな。今度は年下かぁって、からかうんだろうな。まあ、夕飯のおかずぐらいに思う程度だろうけど。
イタリアンレストランで食後のエスプレッソを飲みながら、私はぼんやり考えていた。
それにしても、どうしてもと、アパートまで営業車で送られたのには、正直まいった。とにかく、部屋まではついてこられなかったので、一安心したのだった。私の部屋には灯りがついていた。
・・・クリームシチュー、今夜はもう、作れないよ。
幸いエムは、カップ麺の類でもありがたがって食べる人種だし、私はそのテのストックは欠かしたことはないから、飢えたまま帰すことにはならないだろう。
「ただいま」
部屋に入ると、エムは私のベッドで眠っていた。そして、テーブルの上には白ワインがあった。何故だか少しだけ、泣けてきてしまった。