聖夜のプティフール(つづき)

 東郷俊平は、7年前の恋人だ。彼は当時、友人の西山明とアパレルの会社を興し、イタリアを中心にヨーロッパに服を買い付けに行くバイヤーとして、忙しく働いていた。そして私は、そんな彼の会社を取材したフリーライターだった。
 秋のはじめ。私たちは出会った瞬間、恋に落ちた。それは、本当に、純粋に「恋」だった。生活も、将来も、不安も約束もない。まるで、夜の遊園地で束の間の幻想の世界を笑いながら遊び回るような、無邪気で楽しいだけの恋だった。
 そして、束の間の夢は3ヶ月で終わってしまった。遊園地の光の海に、ひとり取り残された私。

 

◆◆◆

 

 「お久しぶりね」
 「本当に」
 彼は、7年前と全く変わらない笑顔でこたえた。少しはにかんだような、けれど輝くような。引き締まった焼けた顔に白い歯がまぶしい。上質でシックなキャメルのジャケットに、同色の、これも風合いの良いシャツをノータイで着ている。そうだった。彼はファッションの世界の人なのだ。私はふと、自分の装いに引け目を感じた。気に入って買った、ファーの襟のついた黒いカシミアのコートだったが、平凡だ。
 そのコートを店の人に預け、マホガニーのカウンターが艶やかな、ウェイティングバーを抜けて、フロアに入る。あの日と変わらないバーの佇まいに、胸の奥がズキンと痛んだ。

 

 窓際の席に案内された。庭にイルミネーションが施され、大きなクリスマスツリーがひときわ美しく輝いていた。ガラス窓に映り込んだ他の席を見渡す。若いカップルもいたが、ほとんどは年配の夫婦と見受けられる紳士・淑女で、それぞれのテーブルに置かれたキャンドルの灯りの中、睦まじく食事を楽しんでいた。
 その店は、古い木造の洋館を改築した品のいい建物で、閑静な山の手の木立の中にあった。7年前、東郷が、隠れ家のようないい店を見つけたから、イブはそこで食事をしようと言ったのだ。あの日は、ウェイティングバーまでしか入ることができなかったのだが。

 

 「本当にいいお店ね」
 私は彼に語りかけた。もちろん、心の中で。何故なら、今、目の前にいる東郷俊平は幻なのだから。
 7年前のイブ、彼は交通事故で亡くなった。

 

 「お子さんは何歳?」
 「もうすぐ2歳よ」
 「リコがママになったのか。ちょっと信じられないな」
 クリスマス特別コース。可愛らしいアミューズの後、オードブルが運ばれてきた。オマール海老とホタテの貝柱のガトー仕立てだ。東郷さん、ごめんね。あなたの分までは、直樹は予約してくれてなかったみたい。

 

 「誰と結婚したの?」
 幻の東郷俊平が私にインタビューしてくる。
 「あなたも知ってるでしょ。一度会ったことあるはずよ。大学時代の友達の日向直樹。直ちゃんよ」
 「ああ、一度紹介してもらった。彼はいいよね。リコのこと、よくわかっているし」
 私は少し気まずくなる。直ちゃんとの長い付き合いに比べて、私と東郷さんとの3ヶ月って、なんてはかないのだろう。直樹を含めた大学からの友人たちに東郷俊平を紹介したあの日、まさか直樹と結婚することになるとは思いもしなかった。

(次ページ)
(前ページ)