************
よみポケ
短編小説
************

水平線とアップルパイ -2-

かなりあ月子


 海岸線を歩く。少し空腹を感じている。それにしても、なんていいお天気なんだろう、今日は。どうしてこんなに美しい日に、わたしは塞ぎこんでいるの?
 まぶしい光に耐えかねて、わたしはバッグからサングラスを出した。立ち止まり、しばらく波の音を聞いてから、目的の場所へと向かった。もちろん、昔住んだ家である。

 

 がしかし、そこにはあの家はなかった。
 こんなに、何もかも昔のままに感じられるのに、幼い日、両親と妹と暮らしたあの家だけがないなんて。
 シーサイドコーポ、という名らしい二階建てのアパートになってしまっている。わたしはしばらく立ちつくしていたが、気を取り直して野花に縁取られた横道に入ってみた。
 「あった」
 思わず声が出てしまった。あの古い白い洋館が、木立ちになかば埋もれるように建っていた。人の住んでいる気配はないが、アーチ型の錆びついた門にからみ這い登る葡萄の葉と赤い蔓薔薇が、ここを廃墟に見せないように守っているかのようだった。わたしはサングラスをはずした。

 

◆◆◆

 

 遠い日、秘密の小道の木漏れ日の下で出会った男の子は、マモルくんといった。この家に住む片桐衛くん。彼とわたしたち姉妹は、急速に仲良くなったのだった。

 

 「マモルくん、おとうさんはいないの?」
 「うん。おかあさんだけ」
 「どうして?」
 「わからない」

 

 彼はわたしと同い年だった。同じ小学校に入学して、毎日手をつないで登校した。わたしは、学校では恥ずかしくて誰ともうまく話ができなかったが、マモルくんにだけは、なんでも言えた。ただ、マモルくんは誰にでも優しくて、誰からも好かれていたので、学校にいる間はなかなか近づけないのが残念だった。それでも何故か、マモルくんは下校後、誰かの家に行くこともなかったし、誰も家に呼ばなかった。わたし以外は。

 

 「ユリちゃん。今日うちに来る?」
 帰り道、初めてマモルくんがそう言ってくれたとき、本当に嬉しかった。そう、多分五月。今ぐらいの季節だっただろう。
 ランドセルを置くなり、隣へ向かおうとしたが、昼寝中だったエリを起こさないように、普段より気を遣ったのだった。
 「ユリ、お隣へ行くのなら、これを持って行って」
行き先を母に告げて玄関に急ぐと、背中に声をかけられた。振り返ると小さな包みを手渡された。いいにおい。アップルパイだ。そして母は微笑みながら、わたしの髪を撫でつけてくれた。
 ほんのり温かいその包みを胸に、わたしはお隣の門をくぐった。白いペンキを塗った、鉄製のアーチ型の門。白い小さな薔薇の花々が、その下半分を飾っていた。

(次ページ)