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『Lacrima』・・・ラクリマ。それが、その店の名前だった。どうやらレストランらしい。蔦に彩られた煉瓦造りの外観が小さな電球でライトアップされていて、少し洒落ている。猫は静かにドアを押して店の中に入って行った。少し遅れて、私もドアを押した。
その後のことは、実はよく覚えていない。年月がたったせいではなく、あの日自分の部屋に帰ってから思い出そうとしても、その店での出来事は、紗がかかったようにおぼろで頼りない記憶だったのだ。
ただ、中年の髭の似合うマスターがいたこと。ラクリマはイタリア語で「涙」という意味だと教えてもらったこと。他にお客はいなくて、少しワインを飲んだ後、そう、とても美味しいリゾットを食べさせてもらったことは覚えていた。
それからずいぶん長い時間、私の話を聞いてもらった気がする。多分マスターが上手に聞き出してくれたのだ。恋人との出会いや、彼がどんなに優しく紳士的だったかとか、自分が意地っ張りなために別れてしまったのだとか、微笑んで相槌を打ってくれるマスターに甘えて、ずっとしゃべり続けた。
それで、私はすっかりくつろいで、気持ちが楽になったような覚えがある。もう全て過去にしてしまえたような、まるで長い時間をかけて傷を癒したような、不思議な心の軽さを感じていた。
他に覚えていたのは、私が見た白い猫は店にいなかったこと。代わりに若い男の子がいたこと。その彼が私をバイクでマンションまで送ってくれたこと。
いろいろ不思議には感じたのだけど、何より驚いたのは、翌朝会社が休みだと思ってゆっくり寝ていたら、同僚から電話がかかってきてこう告げられたときだった。
「何してるの、月曜日から大遅刻じゃないの。あなたらしくない!」と。
昨夜は金曜日だったはず。いったいどうなってるの?
慌てて身支度を整えながら、私は大混乱を起こしていた。これじゃまるで、竜宮城じゃないの。
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本当に竜宮城だったのかもしれない。
私はそれから何度かあの店を探しに行った。あの日ふらふらと歩いた住宅街の道も、何回目かに見つかった。多分間違いないはずだ。けれど、『Lacrima』という名前のレストランはなかった。人に聞いても、電話帳やネットで調べても、そのあたりにそういう名の店はなかったのだ。
夢だったのかもしれない。そう思い始めたとき、あの「きのこのリゾット」の味が甦った。それまで食べたことのない、とても優しい味だった。そして、思い出したのだ。店を出るとき見送ってくれたマスターが、こう言ったことを。
「5年もたてば、すっかり人生が変わっているさ。懐かしく思い出す日もくるよ。おや、今日はいい満月だね。またいらっしゃい」
5年。満月。それは、別に5年後の満月にまたおいで、と言っていたわけではないのだろう。でも、私には何故か、特別なキーワードに思われて仕方ないのだ。
そう、今日がその5年後の満月の宵。私は『Lacrima』を探している。