************
よみポケ
特別企画
************

密航少年Kayの
亜米利加見聞記
―1900年代初頭の北米大陸
Vol.8

中川吉蔵/光子



第八章
アメリカ海軍入隊

 

●志願兵募集

 

 カリフォルニア大学の学生倶楽部に勤めてから、二年目の夏休みがやってきた。夏休みは三ヶ月もの間続き、この間は仕事もない。そこで、アメリカ海軍に入隊して、給料をもらいながら諸国を見物して歩こうと考えた。学生倶楽部の仲間に話すと、「バークレー市の駅前で、海軍の募集をしている」と教えてくれた。

 

 駅前を歩いていくと、案の定水兵が立っていて道行く人に声をかけている。海軍生活を写した一メートル四方くらいの写真が十五、六枚、その隣に「給料をもらいながら世界中を回り、各国の美人とダンスができる」と書かれた立て看板。
 水兵は軍楽隊のようにスマートな服装をしていて、僕が側を通ると「君、アメリカ海軍に入らないか」と声をかけてきた。「待ってました」と思いつつ何気ないふうで問い返すと、「服装は服も靴も新しい上等のを支給する。食事は充分あるし、給料をもらって世界中を見物し、各国の美人とダンスも楽しめる。勉強したければ充分勉強できて、試験に合格すれば給料もどんどん多くなる」と、結構ずくめの文句を並べて勧誘する。
 「それじゃ、入ってみようか」というと、「じゃあ事務所でサインしてくれ」と二階に案内された。
 「明朝サンフランシスコから船が出る。二時間ほどでバリオ軍港だ。まずはそこで待機してくれ」と言われる。

 

 次の朝サンフランシスコへ行って、指定の場所から船に乗った。両岸の山は低く、湾内の水は少し濁っていて景色の変化には乏しいが、天気は良く穏やかである。
 客席は全部二階のゆったりした椅子席で婦人客も多い。船室の中ほどでは一人の老人が、大きなコントラバスを抱えて弾いていて、手元に下げた籠へ小銭を入れる乗客もある。みんな静かに、よい気持ちで聴いている。まるで観光船にでも乗っている感じだ。

 

 バリオ軍港に着くと、数人の下士官や水兵が出迎えてくれた。入隊は明日だというので、軍港内を一人で勝手に見物して歩いたが、日本のようにいかめしい衛兵ややかましい巡視もいなかった。

 

●面接試験

 

 翌朝軍艦へ行き、士官の面接試験を受けた。まず、氏名、年齢、現住所、出生地、国籍、罰せられたことの有無。米国ではこんな場合戸籍謄本がないから、本人の口述以外に正否を判定する手がかりがない。だから面接は形式上で誰でもパスする。
 僕の次は、二十一、二歳の白人青年であったが、何を聞いても「サンフランシスコ」としか言わない。「出生地は?」「サンフランシスコ」「本籍地は?」「サンフランシスコ」「国籍は?」「サンフランシスコ」といった具合。白人といってもスイスかデンマーク人らしく、全然言葉が通じない。それでもまあいいというので、結局サインして入隊と決まった。
 このように白人でも百人に一、二名は英語の全然わからないのがいた。こうした者には別に集めて語学を教え、学力の劣る者には初歩の学科も教える。まこと度量の広いことだ。

 

 入隊者が決まると、兵科を分ける。僕は白人より身体が小さいし読み書きも少しはできるから、艦長付きになった。みんなからは君のが一番楽な仕事だとうらやましがられる。仕事は主に艦長の身の回りの世話である。
 朝は三時に起きて夜の責任者の副長にコーヒーをもっていく。どうということはない仕事だが、時間が時間だけに眠くてしんどい思いをした。
 そのあとは艦長の居室の掃除だ。十五畳くらいの食堂兼応接間と、三畳くらいの寝室、浴室、トイレをきれいにして回る。といっても艦長室は艦の一番高いところの最前部にあり、煤煙も入らず埃も立たない。だから掃除といっても半時間くらいで済む。用事が済んだ後は、本ばかり読んでいた。
 食事はといえば、艦長専任のコックがいて艦長と僕の分を特別に作って持ってきてくれる。さすがに申し分のない食事だった。
 出航前とはいえ、これが軍隊生活かと思うと不思議な感じに襲われた。

(次ページ)