初日は夕食にさきだって、家庭教師が一人一人を紹介してくれた。それが済んだころ、「失礼。入ってもよろしいか」と上品な声がした。「エスサー」と家庭教師が答えると、主人夫妻が笑顔で入ってきた。主人は黒の三つ揃い、夫人は白のドレスという正装である。
「私は当主のミスターチャプマン。こちらはミセスチャプマン」とそれぞれ僕に握手を求め、「どうぞ長くいてください。何か不自由なことがあれば遠慮なく申してください。お互いに愉快に暮らしたいものですから」と言う。
丁寧な挨拶にこちらが戸惑うほどだったが、これが紳士淑女の流儀というものなのだろうか。
●エンジニアーとしての仕事
翌朝は、チャプマン氏自ら農場を案内しながら、仕事の説明をしてくれることになった。
最初は動力室である。ここで電気を起こして母屋から小屋まで電気を供給しているから、いつも調子がいいように整備しておいてほしい、もしエンジンの調子が悪ければ予備エンジンに取り替えて修理するように、と言われる。
次に冷蔵倉庫へ行く。五メートル四方くらいの大きな倉庫には、二頭分の牛肉、三頭分の豚肉、鶏二十羽分の他に、ジャガイモ、レタス、セロリ、その他の野菜がぎっしり詰まっている。何かあっても半年は優に暮らせるほどの食糧だが、モーターが止まると皆傷んでしまう。だから注意を怠らず、少しでも具合の悪い場合は倉庫にある予備モーターと急いで取り替えてもらいたい。そのため予備モーターの調子も調べておいてほしい、とのことだ。
次が水道。これは上部のタンクを常によく見回ること。発動機の整備に心がけてほしい、などなど一つ一つの設備について、丁寧な説明を受けた。
翌日から、電気の配線や水道のパイプ、各種のモーターを点検するのが日課になった。といってもチャプマン氏も言っていた通り、今現在調子の悪いところは特にない。調節したり油をさしたりするくらいのものだ。
僕は一月ほどかけて、ほとんどの機械類をきれいに分解掃除した。機械の調子は今まで以上に良好になり、チャプマン氏をはじめ誰もが「よい技師が来た」と喜んでくれた。
名前ばかりのエンジニアーであるのに、と思うといささか面はゆいが、これはこれで得意な気持ちでもある。
チャプマン氏とはあまり話す機会はなかったが、時々馬で農場を見回りながら遠乗りをしているのを見かけた。少しやせ型で背が高く、細い鞭を持って短めの上着を着た乗馬姿。ネクタイをきちんとしめ、白いカフスを上着の袖からのぞかせている。服装といい、態度といい、どこから見ても典型的なジェントルマンである。
氏は、十年ほど前にここを買って、フランスから移り住んできたということだった。いったい何を思ってこんな辺鄙なところへやってきたものだろうか。
なにしろ農園の回りはどこまでも続く砂漠で、近在の農家の影も形も見えないのだ。夫人と二人の娘たち、そしてここの使用人が、氏の世界の全てなのである。
よほどな人間嫌いかとも思ったが、あるいは悠々自適の田園生活を楽しんでいるのかもしれない。僕も人生の活動期を過ぎたら、そのような気持ちになるものだろうか。