盗みはたちが悪い、と思うが、同時に「みんなきっとこの極寒の中、食料を手に入れるのに必死なんだな」などと動物の越冬を眺めるような気持ちも半分だった。というのも、盗みよりもっと頻繁に、空瓶集めを目にしたからだ。
頭にスカーフを巻いたおばあさんが、一つ一つ部屋の窓を外からノックし、「空き瓶は無いかい」ときいてまわる。ポーランドでは、生クリームも、ビールも、瓶入りだったので、その瓶をお店に持って行くと、お金にかえてもらえる。たいした額ではなかったが、この瓶集めで、わずかなお金を稼いでいる人を、何人も見た。凍り付くような寒さの中、重い瓶をボロボロの布袋に入れて、一部屋ずつ歩いてまわるおばあさんの姿は、見ているだけで、物悲しくなってしまう。
若い女性は、別のことでお金を稼いだ。夜は長くなるのに、9時ともなれば、町は静まりかえる。これといった娯楽もない。寒くて外を散歩、という気にもなれない。それで、"女を買う"学生が結構増えてくる。特に奨学金が入ったすぐ後は、絶好のチャンスらしく、寮のまわりを派手なミニスカートで歩く女性の姿を頻繁に見かけた。
あまり厳しくはなかったが、一応寮の中に外部の者が入るときは、受付に申し出ることになっていたので、うまくその関門を通り抜けられなかった女性は、窓から部屋の中に入ることになる。学生も、慣れたもので、2階の窓からロープをおろし、交渉が成立した女性はそのロープをつたって中に入る。信じられないような光景だった。
冬の光景といえば、こういったどこか心が寒くなるようなものが多かったが、そればかりではなかった。朝、木全体に張り付いた氷に太陽の光が反射して、キラキラ光るのは、まばゆいばかりの美しさだった。
また滑稽な光景といえば、車が道のまん中で、スリップして一回転していたり、エンコした車を、何人もの人が押していたり。これは、まるで当たり前のように見られる、冬の光景だった。
日が昇っている時間が短いだけに、明るいうちは、なるべく外で過ごそう、と思い、最初の冬は、完全防備でよく外を散歩した。3キロぐらいの道のりだと、歩いて行った。でも、最初は、雪道を歩くことに慣れず、何度も何度も転んだ。転びながら少しずつ歩き方のコツを覚えていった。
長時間歩いていると、どうも鼻の穴に何かがくっついているような気がして、気になる。何度払っても、またくっついてくる。はじめはそれが何なのかわからなかったが、じきにそれは、息が鼻のところで凍っているのだ、ということに気付いた。鼻だけではない。自分の吐いた息が、髪の毛にかかり、それが凍って、まるで白髪のようになってしまう。
これらの小さな、どうでもいいような体験が、私にとっては新鮮で、暗い冬を少しだが明るくしてくれた。
長い冬。いくら待っても春なんて来ないんじゃないだろうか、と思ってしまうくらい長い冬。地面は凍り付いたままで、もともとどんな色をしていたのかも、思い出せない。このままずっと凍ったままになってしまうのではないか、と到底あり得ないことまで考えてしまう。
でも、そんなある日、雪の下から、小さな緑の葉が出ているのを見たとき、葉が完全に落ちてしまった木の枝に、小さな芽が吹きはじめているのを発見したとき、言いようのない喜びを感じ、胸が高鳴り、「春だ、春だ!」と叫びながら、その辺をかけりまわりたくなる衝動にかられた。「こんなに寒くて、まだ雪もあるのに、春を覚えていてくれてありがとう。」と思わず言っていた。
春がくることを、こんなにも嬉しく、感動的で、ドキドキするものにしてくれたのは、このとてつもなく長い冬が残してくれたプレゼントだったのかもしれない。